こんばんは
ヘルスコーチテツコです。
毎晩毎晩、日記を書くように
ヘルスコーチになるきっかけみたいなもの
書いてきましたが、
今日は前職のことを少し書きます。
私の前職、それは
日本語学校の事務
何やってたかっていうと、
ネパールからの学生のサポート
今、コンビニに行くとネパールの若者がいますでしょ?
あの方々、みんな大体一旗揚げようと
ネパールから日本に来た若者なのです。
「留学」というビザを取得すれば、
最初は6か月から1年3か月、日本に滞在できるというわけで。
彼らは最初日本語学校に入学して
2年間日本語や日本の文化を学び、
その後大学や専門学校に進学、
うまくいけば日本で就職
安定してきたら、
ネパールから家族を呼び
永住
そのようなシナリオを描いて
日本にやって来るのです。
そういう若者のサポート。
いや~そりゃもう、大変でした。
まず、私が独自に面接をして入学予定者を選考
その人達に入国許可がおりるように
入管に提出する書類を作成
入管には彼らのサポーター(経費思弁者)の
銀行残高証明書、職業証明書、納税証明書、などなど
も添付
何十枚という書類に翻訳もつけ、数字の間違い
論理性に齟齬(そご)がないか、
細かく細かくチェックして、
その書類で入管職員が入国を許された人だけが
日本に来ることができるというわけです。
来日希望者のおよそ50%しか
ビザは下りないのですよ。
だから、あのコンビニにいる若者たちは
そういう狭き門を通って今があるということです。
そこらへんに関わるお仕事をさせてもらって
ました。
うちの学校にはネパール人スタッフがおらず、
ネパール若者は、私めがけて
「せんせー、What is this paper ?」
「せんせー、When can I get my insurance card?」
もう毎日毎日、いろんなことを聞きにくるのでした。
家に帰ってもSNSで電話かかってきとったなぁ
夜中に電話かけてきて、
「せんせー、My friend had an accident」
とか。正直疲れ切っておりました。
そんな生活を足掛け5年
濃い数年でした。
正直お給料はそんなにいただけないです、
ここだけの話。そういう業界らしいです。
でも、あの仕事をしたおかげで、ネパールの
人たちが大好きになりましたし、
今でもネパールの若者を見ると、
無条件で応援したくなる私です
こんな言ってますが、実はネパールには
一度も言ったことがなくですね、
死ぬまでに1度は行きたいと思ってます。
とりとめのない、お話に付き合っていただき、
今日もありがとうございました