時は1894年7月、箱根で行われた内村鑑三の講演会をまとめたものだ。文庫本100ページにも満たない。

 
1894年といえば日清戦争開戦の年、また、領事裁判権をようやく撤廃できた年でもある。そんな歴史の一ページの中で、芦ノ湖畔で内村鑑三がこんなふうにオヤジギャグを言い、戦争反対と言っていたと思うと、130年前の人々に親しみがわく。

そう、彼は講演会のっけからオヤジギャグを言っている。明治時代からオヤジギャグが存在したのか!新鮮だ。

曰く、

(キリスト教の演説は、普通立って話すのに、椅子に座って話をする自分は)「この講師が嚆矢であるかもしれない」(満場大笑)

とある。講師が嚆矢(こうし=一番初め)ってわりと高度なギャグではないか?音で聴いて満場大笑いできる聴衆、語彙豊かだなあ。

個人的に心に響いた箇所はもっとたくさんあるが、ここでは「キリスト教徒第六夏期学校」と銘打った講演とは思えない、ユニークな発言をいくつか紹介したい。
 
「後世へわれわれの遺すもののなかにまず第一番に大切なものがある。何であるかというと金(かね)です」
「(N氏に雑誌「基督教青年」をどう思うかと聞かれ)失礼ながらすぐに厠へ持っていきます(=トイレットペーパーにする)」
「(怒り心頭のN氏に)つまらない議論をアッチから引き抜き、コッチからも引き抜いて、鋏と糊とでくっつけたような論文を出すから私は読まないのです」
「批評でも載すればそれが文学者だと思う人がある。それで文学というものは怠け書生の一つの玩具になっている」
「女よりは女のいうようなことを聴きたい。…中略…老人よりは老人の思っているところを聴きたい。それが文学です」
「ただ我々の心のままを表白してごらんなさい。ソウしてゆけば文法は間違っておっても、世の中の人が読んでくれる」
「先生になる人は、学問ができるよりも、学問を青年に伝えることのできる人でなければならない。伝えることは一つの技術です」
「他の人の行くことを嫌うところへ行け。他の人の嫌がることをなせ」
「負けるほうを助けるというのではない。私の望むのは、少数とともに戦うの意地です。その精神です」
「己の信ずるところを実行するのが真面目な信者です」
 
そして“後世に残し得る最大の遺物は、勇ましく高尚なる生涯”これは限られた人に向けられた言葉ではなく、むしろその反対だった。私たちの誰もが持ちうる、最大の遺物こそが“勇ましく高尚なる生涯” だそうだ。