ゆめ発見する3rdちゃくらステップ



◇では、どんな感情を感じていたいですか?



時間の流れは過去から未来へと流れていると想われていますが、



実は、未来を決めるからこそ、今というあり方が変化し、過去の意味も変わっていくという、



未来から過去へと時間は流れています。



これも何が正解かではなく、現実は自分が見たいように決めているので、



自身の中でゲシュタルト(世界観)を構築することで、それを立証するように心理的盲点(スコトーマ)が働き、現実を体験しはじめます。



なので、『なんでも叶うとしたら』無制限でまず、得たい未来とそれに伴う感情を出しきって見ましょう☆彡



どんなことにワクワクしますか?



どんな景色が広がっているでしょうか?



気候はどうでしょう?



どんな食べ物を毎日食べていたいですかー?



どんな人たちに囲まれているでしょう?



周りの人たちはどんな考え方をしているでしょう?



などなど



どうでしょう?



最初から自由に描くことことは難しいので、ふっと浮かんだことはスマホにメモするなど、理想をストックしていきましょう☆彡
ゆめ発見する2ndちゃくらステップ



◇ゲシュタルトとスコトーマ



どんな未来を手にいれたいですか?



自身が人生のオーナーだとして、自分自身に生涯給料をいくら払いたいですか?



いくら収入があれば、理想とする生活が送れますか?



この『理想とする生活』という全体像、世界観(ゲシュタルト)を描くことで



それを叶えるための情報や人に出逢ったりするように、心理的盲点(スコトーマ)が調整されてきだします。



逆にネガティブなことばかり目にして、この世の中はよろしくないというような世界観が脳内につくられてしまうと、



『それを立証するような』ことに出逢ってしまったり、



ああ、やっぱりこの世の中は○○だな~と想わされる連鎖を体験してしまいます。



つまり、私たちは見たいように世の中を見ていて、ポジティブなゲシュタルトが自身の中にあれば、そんな世界観を体験したいとオーダーが送られるのです。



氣分に合わせて観たい映画を選ぶ感覚と似ています。
ゆめ発見する1stちゃくらステップ



ゆめ発見の全体像



◇そもそも『ゆめ』とは?



ゆめイコール職業だと考えがちですが、



ゆめとは、『未来に得たい感情』だと捉えています。



職業はあくまでも、『未来に得たい感情』を手にいれるための手段なのです。



私自身、不登校の経験を通して、自分のやりたいことって何だろうとひたすら向き合ってきました。



みつけようみつけようとしているうちは見つからず。。



やりたいことを見つけようとすることが義務になってしまっていて、型にはまったワクワクしないものばかり。



誰かがほめてくれそうな、認めてくれそうな、誰か目線での夢しか想いつきませんでした。。



まずは、『すべて叶うとしたら』



発想を広げて、自由に無限に想い描いてみましょう♪
9才から言葉の出にくさを感じ始め、家ではペラペラしゃべれるのに、小学校では何故か声が出ない



→なので、陰気なやつ扱いされてイジメられる



→家に帰って、大声を出し発散する



の繰り返しの小中を送っていた。



高校に上がり、いよいよ声が出ないと同時に、場に圧倒されるようになり、



(空間が怖いというのだろうか)



教室を始め、密室の公共施設が怖くなり始め、行けなくなり始めた。



克服した今からだと、パニックだったと説明できるが、2000年前後ではまだまだ知られていなかった。



身振り手振りで、持ち前の表現力を駆使して周りの大人に、辛さ痛さ伝えようとするが、逆に伝わらない。。



心療内科にも掛かったが、何も告げられず、抗うつ剤を渡されるにとどまった。




高校の時、不登校を集めたサマースクールで出会った、当時臨床心理を専攻していた大学生を頼って、頑張って伝えたが伝わらず、挙げ句の果てには『なんでおれなの?』と突っぱねられてしまった。



伝えても伝えても伝わらない。



本当に辛いことが『伝わらない』ことで発症していまう、いわばコニュニケーションエラーから生じる、二次障害、躁鬱も発症してしまった。



2000年代はまだまだ『うつ』というと、サボってる、楽してるという風潮が強く、身近な同級生とかにも打ち明けられず、距離を置き始め、孤独を選ぶようになった。




克服した今からだと、共感性が高すぎるがゆえの、後に発揮することになる才能や能力なのだが、



『伝わらない、認知されていないのは、存在していない』ということを想い知った期間でもある。



自分自身を『存在』させていくのは周りの環境ではなく、自分自身であるということに繋がっていくのだが、




今回は、



『今の自分だけが感じている、人には存在していない痛み』



を、後にこうやってエピソードとして話せる為に、



『辛いけど、しっかり感じるのがいいよ』っていうお話しでした彡



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【作品にこめたもっと深いテーマ】 * * 3/7(土)と3/8(日)で『多様な若者のリアルにスポットを当てるデザイン展』と題して、岡崎市の地域サポートセンター コネクトスポットさんでアート展が開かれました。 * * でで、僕の半生もアートにしていただいたのですが、目で見えてた部分は本の一部で、もっと伝えたかった世界観があります♪ * * 突如伝えたくなったので、上手く言葉になるかわかりませんがシェアしますね! ではでは。。 * * *** * * 誰かに見つけてもらえるまでは、誰しも透明人間みたいな存在なのかもしれない。 * * 自身がわからずもがき苦しみ、『わたしは誰?』を見つけようとしている。 * * でも、ふとした瞬間に褒められたりすると、急に自分自身が存在し始めた感覚になる☆彡 * * 太陽を司る男性性は『愛』を伝え手を差し伸べ、受け取ってもらえることで、自分自身の存在を認識し、 * * 月を司る女性性は『愛』を伝えられ手を差し伸べられ、受けとることで、自分自身の存在を認識できる。 * * 誰かに『名前』を呼んでもらえることは『生命(姓名)』を認識できることだろうか。 ? * これは純粋にそれぞれの認識する性別ということではなく、各々に男性性(太陽)と女性性(月)が共存していて、 * * 『愛』はまず受けとる(月)ことで自身の存在を認識でき、今度は誰かに『愛』を伝える(太陽)ことで、誰かの存在を『見つけてあげる』ことができて、自身も『生命(姓名)』を実感するという補完関係にあるということ。 * * だから、厳密には他者は存在していなくて、誰かを見つけてあげれる(誰かの良いところを見つけてあげられる)ことは自分自身も再確認することにも繋がって、わたしたちという集合意識は補いながら『全体』を形作っているんですよーっていうことなんです。 * * * 壮大すぎて、納めきれませんでしたね(笑) * * *

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