続き~ 拘留所で敵国にいるわれわれにとっては、本国が優勢になることは、不安で「どんなことをされるかわからない」という心配がともなうことは、大変重要で、こういったことは。本国にいただけでは、スコートーマになりえる部分であるとおもった。
- 前ページ
- 次ページ
英語と私 松本享
英友社
松本享は、中学時代を群馬県高崎ですごし、東京への
移転に伴い明治学院中学部に転校することになり、そ
れを期に「会話」という教科通して英語に目覚めるように
なる。
通学途中に、中学英語のリーダー1.2巻を丸暗記する
ことで、基本的な文章の構造を身につけ、原書を100冊
ぐらい読むと、本物英語らしく口からスルスルと出てくる
ようになった。
頭のなかで英語を一人二役の会話の形で英作し、場所
をとわずに練習していった。
明治学院の英文科であった時、日米学生会議にたずさ
わる。
満州事変の頃、ユニオン新学校の入学を許可される。
コロンビア大学に入学し、授業に悩むが同級生に学習
方法をおそわる。
まず、教授の本を一冊読み、大体の意味の議論をのみ
こみ、あとの四冊を参考にするだけでよいというもので
ある。他の参考書は教授と違った点に注意し、その結論
になった思想過程を調べるのである。
大学卒業後のYMCAで日本人の学生に世話をする仕
事についた。
フランスでの大会で、日本代表として出席し、「国際会議
で一番物を言わない日本人だが必要なときに、よく討論
に参加してくれてうれしかった。」と主事のタッカー氏から
ほめられた。
パール ハーバーの襲撃の後に、FBIが来て、エリス島
に、流されての生活が始まる。
事務所を設立し、、中に居る人たちと生活をしやすいよ
うに活動する、その後、キャンプ(拘留所)での生活をす
る。
仮保釈されてから、協会の教職を希望しマーブル・カレ
ジェート協会の牧師Dr.Norman V.Pealeに招かれリホー
ムド協会の教職の試験を受け、書記に任命される。
米国人の日本人に対する誤解した見方と向き合いながら、多くの講演活動を続けてきた。