ピアノと私。。。(不足感からのコントロール)
こんにちは。わたしの大好きなemiさんが、2回も!!ブログでご紹介くださいました。ほんとーーーーーーーーに嬉しいのです。ありがとうございます。***************だいぶ減らしました。さて。。前回のブログで、もうわたしは消化終了かな~なんて、ゆったりしていたら、今朝突然思い出しました。キモを。ワタシの消化の為に、この先重いです。。わたしの幼少期は、コレ無くしてはかた語れないってことを忘れていました 「ピアノ」です。4,5歳の頃から習い始めたピアノ。六甲のイトコのマンションの先生のお宅で習ったのが最初。今でも薄暗い廊下を通って、ドアの前に立っているのが思い出せます。(あの頃からイヤだったのかしらん)その後、東京の三鷹(ここの先生は良かった)、次の福岡、東京の品川横浜の保土ヶ谷、そして今の実家、転勤毎にハハは一生懸命先生を探してくれました。ちょっと上手だったんですよね 笑 わたし。特に、福岡では「福岡音楽学院」という塾みたいな所にも通いました。一緒に通った男の子は、今では芸大の先生です。福岡の先生は、桐朋だったかな。タイピングの様な奏法に切り替えさせられて手の甲に消しゴム乗せて弾いていました。よく手も叩かれました。毎日最低2時間の練習。当時社宅に住んでいたので、5時には始めないとご近所迷惑になるので、どんなに楽しく遊んでいても5時門限 今のワタシを感じて頂ければわかると思うのですが、自由が一番野山をかけまわるのが大好きな私にとっては、ピアノは苦行でしかありませんでした。中学の時は陸上部。試合にも出るようになって練習をしなくてはいけなくても5時帰り。ちょっと遅くなると校庭にハハが迎えに来ていました。仁王立ちの怖い顔、今でも忘れません(あーーーーー涙出て来た )元旦と高熱以外は、毎日2時間~3時間の練習。修学旅行に行く時も、楽譜を持たされ、ホテルの宴会場のピアノを借りて練習させられました。(こんなの黙っていればわからないのに練習してました)音大コースに乗っていたので、演奏だけでなく、聴音、ソルフェージュ楽典(音楽の文法みたいなもの)も勉強していました。聴音は、四声体和声聴音ってわかります?解離って言っていましたけど同時に4つの音の演奏を聴き分けて、楽譜に起こすこと。何分の何拍子も教えてもらえないので、自分で聞いて推測して、4回か5回弾いてもらう中で楽譜に書き取って行くんですよねぇ。。。。得意でしたけど 笑こんな生活が実は高校まで続きました。高校2年生かな。ようやく「音大にはいかない」って言えたんですよねぇ。。。ハハも実はホッとしていたと思います。1レッスン〇〇円を、色々な先生にお支払いして、おまけに受験となったらいくらあっても足りない状況になったと思います。そこから、一般受験勉強をしたので成績はよろしくないです、ハイ 笑短大に入ったら今度は、自分の演奏でなく、ピアノ講師になるための勉強をするよう言われました。教材も買って、ご近所の子を教えていた時期もありました。普通のバイトの方が楽しかったけれど。結婚したら、調律師になる勉強をするよう言われて、銀行の退職金で専門学校に行きました。あーーーーーーー 呪われてますよねぇ。。わたしにとっては、どこに逃げてもついてくる「ピアノ」です。長くなりましたので、次に続きます。あーーーん 頭が痛い。。。コレは大変。。。ご案内はこちら→ 「募集 コスミックマザー 親子関係の赦し」【コスミックマザー 親子関係の赦し】★開催日 6月14日(金)22時半~23時半の1時間 ★完全遠隔 3000円リクエストがあり、ご両親お2人ご希望の方はは5000円で承ります。お申し込みはこちらから