先日のセッション
クライアント女性の過去生の姿
が現れました。
ロングヘアの日本人では無い女の子の姿
風そよぐ草原の中で
遠くに光る都会のビル群を眺めていました。
その姿は、悲しそうでもなく
ただただ眺めている。
ここまでのことを伝えると
「時が来るのを待っているみたいだね」
と、女性。
その先を私から伝えなくても
「自分のことなので分かる」んですね。
女性は、職場で数十人をまとめるリーダー。
過去生の少女姿の自分は
現世の女性に何を伝えたのでしょう。
仕事のことなのか?
生き方?
今後のこと?
この時期は、どうやら世の中的に
自分の生き方、在り方について
考えるときのようです。
右へならえ
こうであるべき
社会で、会社で、皆がこうだから
枠から外れてはいけない
この考えの中で生きてきた人々にとって
本当にしたいこと
本当はこう生きたい
○○の立場だから仕方ない etc…
本望が埋もれてしまい
分からない状態にあります。
私自身、離婚をしてから
こうでなければ
こうしなければダメだと
生活のためにと
自分に合わない苦しい選択を沢山してきました。
当時は、苦しいなどと
思っている暇もなかったですけどね^^
しかし、その結果
病院送りになったことが何度もありました。
(正解は、入院6回←今となっては笑い話)
懲りた結果
自分と向き合う覚悟を決めました。
ダサイ自分、世間知らずな自分を知り
惨めな気分にもなりました。
逃げていた出来事、人物とも向き合った結果
すべては自分が作った現実
ということにも気づきました。
生まれてから今までに
身につけてきた概念や凝り固まった思考
それらが私たちの肉体の外側に膜を作っています。
自身と向き合うのは
それらを1枚1枚取り去っていく作業になります。
殆どの人は、それを止めてしまう。
ダサイ自分なんて見たくないですもんね。
でもね、止めずに向き合い続けていくと
本望が見えてくるのです。
そればかりか、今世で使うと決めてきた
持ち物が分かるようになります。
子育ても一段落
親元から巣立っていき
1人の時間が多くなることで
「本当はどう生きたい?」
と考える時間が出来るのかもしれませんね。
年齢を重ねるごとに
あの時の出来事の意味が分かるようになる。
人生って面白いですね。
どうしたいんだろう?
どう生きたいんだろう?
思い煩ったり、探し求めるよりも
一人の時間を大切にすることで見えてきます。