檜原村 九頭龍神社に行った話の続き

神社への道中、車を走らせていると
ズシーンと頭が痛重くなる場所がありました。


しばらく走行していると
山を切り拓かれ、それも大きく
商業施設か、住宅地なのかは分かりませんが
だいぶ開発が進行していました。


私にくる痛みの正体はコレだったのね。
分かると痛みは消えました。


「ごめんなさい」


私は、その土地の神様、大地に
謝りました。


コレも人間のエゴなのですよね。
生活は便利になっています。
体力、気力、知力、思考、洞察力 etc…
それらを必要としなくても生きていかれるように
なっています。


それなのに、さらに欲望は増し
アレも
コレも
上限など無くなります。
留まることを知らない。


私は、神社や寺社を訪れるとき
土地の怒り、悲しみ、嘆きを聴き
対話をし、鎮めることもしています。



夕暮れ前に九頭龍神社をお掃除、戸締りに来た土地の方 とお話をしました。



私が、ドコソコから来たこと。
土地の話。
最近ニュースでも話題になっている「熊」のこと。


やはり、この辺りでも、小熊の兄弟が
姿を見せるようです。


動物達も食べ物を探しに来ているのに
悪者にされていて…
何とも言えない気持ちになります。


人間、動物、自然。
敬意。
感謝。
対等な立場で。
思いやり。



私は、三度、命を吹き返し
いまココに生きています。
生きているのに、死んでいるような
苦しい時も経験してきました。


這い上がる度に
私は、家族が笑っていること
イマココに生きていることに
とても感動したことを覚えています。


まるで、産まれたての子どものように
お水が美味しい
お米が美味しい
お花を見て「かわいい」って思えた
テレビを見て笑えた
他にも感動だらけだったことを覚えています。


食べ物も底を尽き
生活に困り
どうしたらいいの?
子ども達には食べさせて
お母さんはお腹すいてないんだ〜って


そんなことがあったから
今は何があっても、何が起きても大丈夫!
という自信と確信
必要なときに必要なことが起きる
(天から)与えられる。与えられます。本当に。

の前に、やはり当たり前のように
困っている人が居ても居なくても
すぐ動ける自分がいます。
見返りを求めていたら
それはきっと起こらないでしょう。



一生懸命に思考を巡らせなくても
幸せ、美しいものは
すぐそこにあります。
いえ、もうすでに手中にあるでしょう。



これ以上
山、奥地まで荒らされませんように…。