皆さん、こんにちは
富山県にあるインド雑貨ショップ「ラマナ・ムーン」店長のてぃだです。
今日は私の石垣島との出会いについてお話ししたいと思います
私は25歳の時に動物看護士になる為の学校へ通った後、動物病院で働くものの想像以上のハードさに動物看護士として働くことを諦め、その後、32歳まで派遣社員で事務職として働いていました。
ちょうど動物看護士として働いていた際に、NHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」を毎日見ていたのですが、沖縄を舞台としたアットホームで温もりの感じられるストーリーに沖縄の魅力に取りつかれ、いつかこのドラマの舞台の小浜島に行きたいとずっと思っていました。
そして、32歳の時にふと、
「そうだ、ちゅらさんの舞台になった小浜島へ行こう!」
と思い立ったのでした
日本海に面した富山県でずっと暮らし、富山県の海や日本海の海しか見たことのなかった私にとって、小浜島や八重山諸島の海はあまりにも綺麗で衝撃的でした
そうして、ちゅらさんの舞台になったロケ地を巡っている際、この海が一望できる展望台に立った時に
「あ~、私、ここに住みたい!!!!!!」と思い、約3ヶ月後に石垣島に移住したのでした
穏やかに流れる風、トロピカルブルーの海、風にゆらめぐサトウキビ畑、時々聞こえる三線の音、満点の星空・・・
沖縄の魅力を語り始めると、何時間も語れてしまうくらい、石垣島移住は私の人生を大きく変えました。
サトウキビ畑
まずはスーツケース一つで竹富島にある民宿のヘルパーとして働き、1カ月後にホテルのフロントで派遣社員として働きました。
そのホテルでは毎日、外にある芝生の広場で、20人近くの従業員の前で一人、声を張り上げるという軍隊のような挨拶の練習をしないといけなかったのです。
何度、挨拶しても
「そんな小さな声で数十メートル先のお客様に聞こえるのか!!」
と叱られていました。
その時に、メイクの仕事で一緒になったパートのおばさんが
「あんた、大丈夫ねぇ?
私、見ていて泣きそうになったさ・・・」
と私の手を握り締め、そう言ってくれたのです
そのホテルは結局3カ月で辞めることになったのですが、次の職場の寮に引っ越す際に、また別のパートのおばさんが引っ越しを手伝ってくれたのです。
「引っ越し大変だろうから車出してあげるさ~」
もう本当になんて優しいんでしょう!!!
車で10分程度の引っ越し作業でしたが、自転車でしていたかと思うと気の遠くなる作業で、感謝の気持ちでいっぱいでした!
ちなみに新しいホテルでのレストランの仕事は手を握って大丈夫?と言ってくれたおばさんが紹介してくれたのです。
次のホテルに転職したものの、私は実家に預けてきた、飼い猫の小梅のことがずっと気がかりでした。
元気にしているだろうか?
私がいなくて寂しくないだろうか?
と考え続けていた私は、そのホテルを半年間で退職し、一旦、富山に小梅を迎えに行く事にしたのでした。
そうして、富山に帰り約3カ月後、再度、石垣島移住をすることにしました
事前に仕事もペットの飼えるマンションも申込みし、飛行機も予約し、小梅の飛行機の酔い止め薬も病院で手配し、準備万端だったはずが、出発当日の朝になり母と妹が涙ながらに
「飛行機に小梅は乗せられてそれだけでも可哀想なのに、アパートの狭い部屋で暮らすなんて小梅は死にに行くんだ」
と小梅を連れて行くことを猛反対したのです。
そうして、私は小梅と石垣島で暮らすことを断念し一人で再度、石垣島へ移住したのでした。
念願の石垣島移住でしたが、大切な家族である小梅のいない生活は、本当に寂しく喪失感でいっぱいでした。
追い打ちをかけるように転職先の経理の仕事も想像を絶する大変さで断念し、退職しまた一旦、富山へと帰ることに
したのでした。
帰りの石垣から那覇へと向かうフェリーからの朝日を見たときに、自然と目から涙が溢れていました。
それはみんなと別れる悲しさというより、石垣島で体験した心の温まる人との触れ合いに感動していた、
魂の本質からの涙でした。
そうして、この朝日を見ながら
「絶対、またいつか今度こそは小梅と一緒に石垣島へ移住する。」
と決意したのでした。
フェリーは4人部屋だったのですが、同じ部屋になったおばさんに声をかけられ、いろんな話で盛り上がり、船を降りてからも夕飯を御馳走してくれて私を車で民宿へと送ってくれたのでした
石垣島の民宿では1週間近く泊まっている私を心配してか、民宿のお母さんがリビングに私を招いてくれて「よかったらしばらく家で働かない?」と提案をしてくれたりスーパーに連れて行ってくれたりしたのでした
本土から離れて一人で暮らしている私を心配してくれる職場のみんなや友人に助けられて、人との繋がりの大切さを学んだ石垣島移住でした
3度目の石垣島移住に続きます・・・(^^♪