昨日、息子と話していたときのこと。
 
 
話題は幼稚園に関することだったのですが、
 
「先生が、■■しなさいって言ったから、そうするの。」
 
と息子が言ったのです。
 
 
 
これにわたしはちょっと違和感を覚えたので、
 
「先生が、、、じゃなくて、○○(息子の名前)はどうしたいのかってママは聞いているんだよ。」
 
「で、○○は本当はどうしたいの?」
 
と息子に問いかけました。
 
 
 
そうしたら、息子からは
 
「本当は、■■じゃなくて、△△がいいの。」
 
と。
 
 
わたしは、「だったら、先生が何と言おうと、△△していいんだよ。あなたがそうしたいんだから。」
 
と答えたのでした。
 
ちなみに、今回の会話…他人を物理的に傷つける(怪我させるなど)ことではなかったので、上記のような流れになりました。
一応付け加えておきます。
いくら本人がそうしたいと思っても、誰か他の人を物理的に傷つけるのは、理由なくダメ!です。我が家は。
 
 
***
 
 
そんなやりとりをしながら、
 
こうやって、子どもは少しずつ「物わかりのいい大人」になっていくのだなぁ…と。
 
 
でもね、これをずーっと繰り返していると、
 
「○○さんがこう言っているからそうする」が当たり前になって、
 
(この○○は、親だったり先生だったり友達だったり恋人だったり…いろいろです)
 
 
自分が本当はどうしたいのか?何をしたいのか?何をしたら喜びなのか?
 
がわからなくなってしまう。
 
 
 
何を隠そう、わたし自身がそうだったから、よーくわかるのです。
 
 
 
と、そんなことを考えていたら、ちょうど読んでいた本に、表題のことば
 
 
「あなたは、どうしたいのですか?」
 
 
というのが出てきました。
 
(―やましたひでこ『「めんどくさい」をやめました。』祥伝社、2015、164ページ。)
 
 
 
これを小さいうちから習慣化できたら、どんなにかクリエイティブな人生になるだろう。
 
 
そうはいっても、子どもは子どもで、どうやって生きるのか、何を学びとするのか本人が決めてきているわけだから…
 
わたしは最低限衣食住の世話をきっちりやっていれば、あとはおのずと魂の願いを発現していくとは思うんだけど。
 
 
 
それでも。
 
適切な(ただ、何をもって適切なのかはよくわからないけれど。)アシストができれば、と思ってしまうのが、
 
 
親心なのか、はたまた、エゴなのか。
 
 
 
といいつつ、
 
 
「で、あなたはどうしたいの?」
 
 
この言葉、わたしにとっても、すごく重要であることは確か。
 
 
手帳とマイノートの見えるところに、でーんと大きく記しておくことにした。
 
 
 
 
 
***

 

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