Netflixで『パーフェクト・ネイバー』というドキュメンタリーを観た。


感情に寄りかからず、事実を淡々と積み重ねていく構成で、とても新鮮だった。


さまざまな家族が暮らす地域に、高齢の独身の白人女性が引っ越してくる。

彼女は子どもたちの遊ぶ声に過剰な反応を示し、何度も警察に通報するようになる。

周囲は彼女を鬱陶しい存在だと感じながらも、深く関わらずに距離を保っていた。


しかしある日、彼女の様子を確かめようとドアをノックした女性を、彼女はドア越しに銃で撃ってしまう――そんな事件が起きる。


物語は終始、淡々と進んでいく。


見どころとして挙げるなら、引っ越してきた高齢女性の“サイコパス的”とも言える振る舞いだろう。

だが私は、彼女が「過去にレイプ被害に遭い、ときどきおかしな行動を取ることがあった」という証言に強く引っかかった。


というのも、私自身もそうなのだが、不測の事態で心に深い傷を負った人は、

多くの人が当たり前に受け入れているもの――例えば子どもの声などに対して、

「責められている」「攻撃されている」と感じるほどの強いストレスを受けることがある。


脳の扁桃体が過敏になり、常に「生きるか死ぬか」の戦闘モードに入ってしまう。

彼女が必死な勢いで何度も通報していたのは、助けを求める行為だったのではないかと思えてならない。


悔やまれるのは、彼女を単なる“変人”として扱うのではなく、

心的外傷ストレスに気づき、しかるべき支援機関につなごうとする人が、誰か一人でもいなかったのか、ということだ。


そして本人もまた、

「なぜ自分は子どもの声にこれほど強いストレスを感じるのか」と立ち止まり、

自分の心の傷を理解し、癒やす道を探せていたら――と思わずにはいられない。


タラレバの話で申し訳ないが、

異常な行動や心理状態に、もう少し寄り添える社会であってほしいと思う。


本人も、周囲も含めて、

「最善の策を探し続ける」ことが当たり前になる世界であってほしい。