「いいんじゃん」
という答えが返ってきました。
「怪しくない?引かない?」
と聞いてみると、
「なんで?母にも定期的に相談するそういう人いるし、
妹の嫁ぎ先でもなんでも視てもらってる人がいるよ。」
と。
(お客様のヒーリング中に、見えないややこしいものを取ったり、ご縁を切ったりしますしね)
別の大学時代の友人は、私の公開しているFacebookしか見ていないのに、
(仕事のことは、限定公開にしてました)
ある日、
「拝み屋でしょ?」
と。
(拝み屋ではありません)
地方の国立大学の出身で、友人たちは公務員や教員が多いのです。
だからなんとなく、理解してもらえないだろうし、
と自分の仕事を話したりしてきませんでした。
お客さまや初めてお会いする方には説明しているのにも関わらず
でも、親しい友人たちには、
気楽に「私」を伝えたくなったのかもしれません。
最近、友人たちに仕事のことや、
自分の見える世界、
関わる世界について話すことが増えました。
表題の文化のことですが、二人とも中四国にルーツがある人たち。
彼女たちの地元では、今も辺り前に、祈祷師や拝み屋、占い師のような人たちがいるそうです。
私は子供の頃からそういう環境は身近ではなかったので、
理解されないだろう、という自分の価値観を持っていました。
私自身が最初は怪しいと思ってましたから。
友人たちと話していて、
私が知らないだけだったのだな、と感じたのです。
もちろん、絶対ではないですが、
日本にも海外にも、土着というか、その土地独自の信仰や考え方があり、
まだまだ現代に引き継がれている。
私は子供の頃から、そういったものを専門書などを読んで知ってはいましたが、
現代にはあまりない、と思い込んでいました。
それも狭い世界だったのかもしれない、
と思ったのです。
まだまだ知らないことは多くて、
友人たちの価値観や彼らの文化や風土観みたいなものも、
知らないことが多くて、とっても興味深かったのです。
何がどうというわけではありませんが、
自分の世界はやはり狭い。
狭いということを知っておく、それは本当に大事なことですね。