パート1からの続きです
6日の夕方セドナのAirbnb(一軒家)にチェックイン。翌日、私と主人はAさんを連れてカセドラルロックへ。 問題はすぐにはじまりました。まだ出だしのところなのに、「危険のリスク」の話が永遠に出てくるAさん。その上、「登れない。もしダンナがいたら絶対に彼も登らないし、私を登らせることもない、、、、」と、登らないための言い訳がどんどん出てきます。
しかも「私は足が短いから、こんなスニーカーだから(何でハイキングシューズ持って来いっていわなかったの?といわんばかりに 笑
、、、、この岩を登っても降りれないから、降りる練習をさせて、、、」と初期の段階でなかなか進みません。
私は、主人はAさんを助けて、無理にでも登らせるだろうと思っていたので、彼にAさんを勇気づけて登らせることを期待していました。
主人も私もAさんに頭の中のストーリーを変えるようにとか、マインドフルでいるように伝えても、その時のAさんには入っていきません。なぜならAさんは危機的状況になっていたからです。
いつもぶりっこ口調で甘えた声で、か弱く、高い声を出していたAさんから一転。2トーンくらい低い声で、強い口調でフラストレーションが伝わってきます。こわっ
初めて見たAさんの一側面。さらに、Aさんは、次第に顔が青ざめ、目が見開き、瞳孔も開き、瞬き一つしない、「逃げるか戦うか」 モードになっています。やばっ
主人が登りの途中で写真を撮ってあげようとすると、Aさんから出てきた言葉は「ダンナがこんな写真みたら私は怒られる。写真を撮る気分じゃない」と、初めて聞いた自己主張。それにしてもそこにいないダンナ、ダンナと、ダンナさんが中心に自分の世界が回っていることをチラつかせます。
私はAさんに顔が青ざめ、目を見開いている彼女の状態は伝えませんでした。それを言ったら、その時点でもう無理だと登るのをやめてしまうと思ったからです。
登っている途中、Aさんは「これと似た恐怖心を感じたことがある。それは16歳の時にいったスキー場で、、、」と言い出しましたが、私は後半彼女が何をいったのか聞こえなかったので、その話は後で聞こうと思い、とにかく、主人がAさんをヘルプしながら、私はAさんの後について、ものすごいスローなスピードで少しずつ登ったのです。
あまりにもスローな私たちは、途中何人も、先にいってもらいました。ありがたかったので、降りてくる人たちの中で、男性であってもこんなことを言ってくれる人がいました。「ボクは家の屋根から落ちたことがあって、その時のトラウマから最初は怖かったんだけど、なんとか頂上まで登って降りてこれたよ。キミも大丈夫だよ、、、」などと、励ましてくれた人たちが何組かいたのです。
被害者意識バリバリになっているAさんはこんなことも。「私はノーと言えない性格だからこんなことになってしまったんだ、、、」
なんとか頂上にたどり着くと、落ち着きを取り戻したAさんには笑顔が見られ、写真も撮りだしました。頂上では一転して楽しい時間を過ごせたのです。
帰りも一歩一歩緊張しながら降りていましたが、時には主人が手で彼女のシューズを支えて足が届くようにしてくれたので、無事に降りてこれたのです。
その後、ハドソンでランチをした時に、私はカセドラルロックの登っている時にAさんを見ていて思ったことを聞いてみようと思いました。それは、Aさんが感じていた恐怖心です。
私は「あそこまでの恐怖心を私は生まれてから一度もしたことがない、どうしたらあそこまで思考も身体も恐怖を感じるのだろう、、、トラウマ的なものがあるのかもしれない、、、」
また、「どうしてリスクをそこまで想像するのだろう、、、0.01%でもリスクがあったらやらない。 この岩に登って死ぬかもしれない。この岩に登って途中でケガをし、半身不随になるかもしれない。登って命を失ったり、一生後悔するケガをするくらいなら登らない、、、そしてダンナも絶対にそうする、、、」と、そこにはまたダンナさんの影が、、、
AさんとダンナさんのB氏はそういえば考えが似ていて、私と主人も考えが似ていますが、Aさんたちとは真逆なのです。スポーツやハイキング、何をするにしても、私たちにはリスクの話題にはなりません。リスクを考えるとすると資産運用の話の時くらいでしょうか。笑
未知の経験に何か素晴らしいものがあるかもしれないと考えいる私たちに対して、すべてのリスクを考え、行動を決めるAさんご夫婦は未知の経験イコール恐れの対象だったのです。
ランチの時にAさんはいきなりブラッディマリーのお酒を頼みました。私は昼に飲む気はなかったのですが、彼女は緊張の後にお酒を飲んでリラックスしたいのだと思い、私もビールを注文。主人はお水。(その後にオーラの写真を撮りにいくのですが、お酒を飲んだので私は撮るのをやめました。オーラ写真とチャクラの話は次回にまわします)
主人と私はAさんに感想を聞きました。Aさんは、まだリスクの話もしますし、頂上ではとても楽しめたといいます。そして、私は彼女が顔面蒼白でサバイバルモードになっていたことと、彼女が、過去に同じような恐怖心を経験したといっていたので、それはどんな経験だったのか聞いてみたのです。
それは、彼女が16歳の時です。彼女は10歳から台湾を離れアメリカに住んでいるので、アメリカでの経験です。友達にスキーに誘われ、スキー場に行った時、ここで骨を折ったり、ケガをするかもしれないという想像をしだしたら恐ろしくなり、結局スキーをしなかったのです。スキーという言葉は彼女の辞書から消え、一生スキーに行かないと誓ったのです。
普通の人が聞いたらやや異常だと思うでしょう。スキーをして怖い経験を実際にしたからもうやらないのではなく、スキー場に行って、ケガをする確率を考えたらスキーができなくなり、一生スキーはしないと誓ったのですから。
その恐怖心は彼女の育った家庭環境にありました。AさんもダンナさんのB氏も機能不全家族の中で育っていたのです。私も主人も彼らの生い立ちはほんの少ししか聞いたことがありませんでした。
AさんとB氏の母親たちがいわゆる毒親。このご夫婦はアダルトチルドレン同志であり、共依存と回避依存(ナルシストタイプ、独裁者タイプ) カップルというと、想像しやすいかもしれません。
共依存に陥りやすい人の特徴;
自分を犠牲にしてまでも相手の世話をする。世話をする相手を探しては境界線を越えて世話をしようとする。自分の存在価値を相手の世話をすることで確認しようとする。相手が自分でできるようなことや、頼んでもいないことまで先回りしてやってあげようとする。相手との境界線を見極めることができず、相手の感情に振り回される。相手の感情に責任をもってしまう。相手に見捨てられることを極度に恐れている。頼まれていないのに、おせっかいをしたくなり、さらに見返りも求める。ノートいえない。自分さえ我慢すればことは収まると考える。相手の問題なのに、自分に否があると考える。たとえ相手の執着であってもそれを愛だと思い込む。
そして共依存の人が魅かれる可能性の高い回避依存症には4つのタイプがあります。NEVER まとめの『アダルトチルドレンの2つのパターンー共依存症と回避依存症』 のサイトから引用
独裁者タイプ
「正しいのは自分、間違っているのはお前」自分が上、相手が下になって、常に相手をコントロールしようとする「身体的暴力」や「精神的暴力」などの方法で権力を握ろうとしたりする
搾取者タイプ
「本当にオレを愛しているのなら~」「一体私はどうすればいいの?」など一見自分の不幸を嘆いているようで、実は無言の圧力で自分の要求を通そうとする
ナルシストタイプ
「自分は特別な存在である」との感覚ばかりが先にきて、「他者も特別な存在である」ことが認められない。
相手は自分のシナリオ通りに動くコマにすぎず、自分の引き立て役にさせる
脱走者タイプ
相手の求愛や要求を前にすると怖気づいてしまい逃げ出したくなる
「自由でいなくてはならない、束縛されたら終わりだ」との強迫観念にとらわれる
AさんとB氏がどれだけ機能不全の家族だったかも次のブログで書いていきますが、まず簡単に説明します。Aさんは10歳のときにアメリカにお姉さんと教育を受けるためにアメリカにいる親戚のところに預けられました。10歳ですから母国語は中国語だと思っていましたが、彼女にいわせると、彼女の母国語は英語だといいます。そして実は、彼女の話では、ひどい「どもり」があるといいます。
私たちは彼女のどもりを聞いたことはありませんが、それが出たときは、言葉として人には理解できないくらいひどいのだといいます。なので、彼女は安心できる人としか対応できないのです。喉のチャクラにブロックがあるだけでなく、安心して育つことができなかったAさんは第一チャクラも小さく、自己肯定が低く、回避依存ナルシスト、独裁者タイプの要素が強いB氏のいいなりで、彼の手足になってしまっている彼女の第三チャクラも小さくブロックがあります。
本来インディゴブルーや紫色のオーラを持ったAさんは、本来の自分でいることが許されずに育ちました。そして、繊細な感覚は、鈍感に鈍らせなければ生き抜けなかったために、フィーリングを感じないように子供のころから麻痺させていたのです。
私たちも知らなかったのですが、Aさんの母親は末っ子のAさんが生まれるとすぐに真ん中のお姉さんと3年間、叔母さんのうちに送られたので、母親と父親と暮らすようになったのは3歳からだといいます。Aさんは間違いでできた子で、望まれていなかった、母親の顔をじっとみただけでひっぱたかれたり、涙を一粒ながすと、ビンタ、2つ流せば2回のビンタだったそうです。フィーリングを消して泣かないようにするのは必然だったのです。
なた次のブログで書きますが、そんな毒母になってしまったAさんのお母さんにも理由があるのです。
私たちの人生はよくレシピに例えられます。私たち一人ひとり、どんな材料にするかは生まれる前に決めてきたのです。毒母を持つことも含めて。被害者で終わるためのレシピではありません。片親で育つ、一人っ子、10人兄弟の末っ子、障害を持って生まれる、日本、アメリカ、中国で生まれる、ジプシーのようにいろんな所に住む生い立ち、一か所で一生を過ごすなど、いろんな材料を選び、その材料で何が作れるか、どんな料理を作るかはその人次第です。
私も主人も比較的健全で、安心して子供らしく育ったので、「恐怖心」とはあまり縁がなく育ったのです。AさんとB氏との出会いも、材料の一つでしょう。機能不全家族で育った人たちを深く知ることはのちに作る料理に関わってくるからです。
ホリスティックに人を癒すには、相手への深い理解が必要だと私は思っています。このブログを書いているのも、読んでいる方々が必ずしもアダルトチルドレンではなくても、あなたのパートナー、同僚や友達、知り合いがそうかもしれないからです。自分には直接経験がなくても、世の中には育った家庭で見捨てられることへの恐怖、病的な孤独感、ゆがんだ愛の表現、異常なまでの不安感や恐れ、怒りを持つことになった人たちがいることを理解することで、その人たちの言動を理解するためのヒントになるでしょう。
次回はAさんと主人のオーラ写真からチャクラの状態を見ていきたいと思います。
ブレスレットもチャージ