だいすきな信州で② | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」


▼こちらの続きでやんす


 

もうこれは、

「もっとがんばらないといけない」


つまり、

「そのままのわたしじゃだめ、価値がない」

という、まぁ心のこと界隈では

よく言われるもの、

"無価値観" というような類のものや、


なんだろう、

「仕事とは苦労しなくちゃいけないもの」

「ラクはダメ」

「お金は苦労して稼ぐもの」

みたいな、

育った環境で親や周りの大人を見ていて

無意識の中にむくむくと思っていたものの影響がまだまだ根強く残っているのだろう と思っています、わたしの場合。




でも、

昔からの友人に会うモードで

笑っておいしいものをいただいて

リラックスして話しているから

(でもないのだけどね。厳密に言えば、ただの友達と話してるときとはそれは違うものだから)


ともにする方は

肩の力がぬけ、リラックスして自然体で

いろんな気持ちを話すことができるんだよね。




実際、こちらから聞かなくても

この日うれしいメッセージをいただいた。






で、

よくよく想像してみたんだけど、


例えば

わたしが憧れるステキな方が

わたしの地元、南知多にきてくれることになり、わたしが車を出して送迎したり、食事やお茶をしたりすることになったとして、


その方がちょーお完璧な大先生で、ふとしたときも気をつかず完璧なお姿だったら…


ちーとわし、疲れるわ。




いや、ちーとどころではない

でら疲れるわ。

駐車するとき緊張してぶつけそうだわ。


※これ名古屋弁でよい?

でら とか、どえりゃー って若者はあんまり使わない。

あ、若者にはわたしも含むよ




でもそこで、


すごくフランクで

素みたいな姿を見せてくれて

たっくさんおしゃべりしてくれて

リラックスしてめちゃ笑っていたら、


わたしはとてもうれしいし

めっちゃ安心するわ と思った、


"この人も人間やんけ"

と。


20代のジャッジまみれなわたしだったら

「え、この人最悪。

ちゃんとしてない」

って思いそうだが🤣




そして、自分にオッケーを

より一層出せるような気がする、

「自分らしくいたらいいんだ。

その方が、親しみやすさを感じてもらえて

相手も相手らしくいれるんだ」

って。


(うむー…これはわたしがさとちゃんにいつも感じていることやないか)




うーん、書いていて

「わたしは完璧なロボットでも

目指しとったんか??」

と思えてきた🤣




もーほんとさー、

なんかを目指すよね〜泣




ずっと憧れの

一回り以上の年方がいるんだけど、


その人はわたしからみたら、

すごく誠実でちゃんとしてて

コツコツと仕事を積み重ねておられて、


読者さん想いで誠実で

クライアントからの支持が熱すぎて

女性ファンがめーーーーっちゃ多くて

しかもファンはファン歴が長くて

(わたしもファン歴9年)


失敗などされても

表でクヨクヨ発信されることもなく

誰かと群れたりもしなくて

それがまたわたしにはかっこよくて


でもって趣味とお住まいのインテリアと

使われている器までおしゃん…




とにかく

わたしと違いすぎるのであります!


(誠実って言葉がピッタリな方なので、"誠実" ばっかり書きそうになる)




最近夫に

「憧れ ってのは

自分にないものをもっているから

憧れるんでしょ〜」

とふとしたときに言われ、


「確かに!」

と納得したと同時に


「え…

チーン…

わたすにはない…」

となったんだけど…😭


理想と憧れ もちょっと違う感覚だよね。




5年前ね、

その方がサイン会をしている姿を親友と数メートル先から眺めていたときのことを、わたしは今でもめちゃんこはっきり覚えている。


(ちなみに親友はわたしよりも先にその方を知っているからファン歴はわたしより長い)




わたしは今から書くこのときのシーンをこれからも忘れることはないと思うんだけど、


数メートル先でポカーンと見ていたわたしたち2人に気づいて一瞬手を止めて、

わたしたちに微笑んでくれたのだ。




それだけじゃない。




その一瞬の微笑みが、

眼差しが、

めちゃんこ

あたたかかったのだ…




あんなにあたたかな眼差しを

誰かに向けられたことがわたし

あるだろうか…




こういうのを

慈愛

というのか…

とその瞬間、思った。




その方が出されるいろんな商品をわたしはこれまで使わせていただきましたし、ブログを読まないときがあってもまたまとめて読み続けていて、


発信にはときにグサッと刺されるような気持ちになって辛くなったり逃げたくなったりしたり、一時期ブログを読まない みたいなときもよくあったりもしたけれど、


それでもずっと読み続けている。




好きだから

憧れるから

かっこいいし

感動するから。




その方の生き方に、在り方に

わたしと違いすぎていても

やっぱり憧れるし、


「こんなふうに在りたいな…」

と思うし、


仕事で辛いことがあると

「〜さんなら、なんていうだろう泣」

と助けを求めたくなる…




そう、仕事で辛いことがあると頭に浮かぶ人なんです。


そしてクライアントの喜びをめーっちゃ喜んでくださる人です。わたしはその方のクライアントになれたことがないので、もちろんわたしは認知されておりません💦




多分それは、


ブログから一人で始められて

事業を大きくされてきていて

いろんなご苦労もあった人生の先輩


だからだと思う。


みんなもきっとそうじゃん?毒親に悩んでたとき、その悩みから抜けてた人の発信、読みあさってたでしょ?




わたしも誰かのそんなときに頭に浮かぶ人になりたかったんだけど、変に力を入れてがんばりすぎてしまい、そんな理想からは離れすぎ、


しまいにゃ去年、自分の心がぶっ壊れるというなんともはじゅかしい結末…




わたしはその方に

一方的にお会いしているだけですが

(講演といったイベントに参加)


その方は先ほど書いたように

いろいろかっちょいいだけでなく、


とても気さくでフランクでおもしろくって、クライアントのみなさんとすごされるときは本当に自然体でおられ、愛情に満ちておられることは

先ほどの慈愛まなざし事件より前から、

発信を通して伝わっていました。




なのにわたしは

ただ自分を責め立てていただけのような気もする。




この前さー、親友に

「もーマザーテレサでもめざしそう!」

というようなよき一言を先日言ってもらったけど、


なんか昔っからこういうところがあって、別の友人にも学生時代に似たようなこと言われたし、わたしのこの部分がわたしをおかしなことに本当にする!




まだ根本の部分の

"ありのままの自分でよし"

を認めきれてないんだろうね、反省っす。



こんなふうに、自然に笑うみんなの顔を見ていたい〜。






インスタの投稿に書いたけど、

毎年この時期落ちやすいというのと、

こんなふうに最近いろいろ悩み(というか自分を責め?)、弱っていたわたしだったので


けいこさんのやさしさや

楽しんでやってくださったおもてなし、

帰り際のあたたかすぎる笑顔が

わたしの心にもう沁み沁みに沁み入り、


その笑顔を思い出してその日の夜、

お風呂ですんごい泣いてしまった


ということだったんです。



大量の鼻水とともに

ひっさしぶりに声をあげて号泣した!笑




でもそのまま泣かしといたら

なんだかスッキリした♡




そんなステキな5月末の信州 飯田でした。




"もの" だけではなく、

細やかなたくさんのおもてなし、

見えないたくさんの "おくりもの"、

気づきをいただき、

本当にありがとうございました☺️



オンラインも便利だけど、

やっぱり "会う" ということは、表情やエネルギーから伝わるものがあり、全然違う。



ここ数年は、初回セッションをオンラインでしてきていたから、はじめましての方と対面セッションからスタートするのはドキドキするけど、


今年の夏またやってみようかな

という気持ちがいまわいてきています。

(もちろんセントレアで♡)



そしてこの夏、その憧れの方に会いに行く予定ですが、たくさんパワーもらって自分の中の答えをまた引き出したい。



会いたい人にはさっと会いに行きたいよね。



いつ会える機会がなくなるか

わからないもの。





ということで、

いろいろごちゃごちゃ書いたけど、

わたしのだいすきな信州旅行…出張記でした!



書いたらまたスッキリしてきた気がします☺️