『私は癒しが完了しています。』

 

あえて誤解される可能性がある事を承知で書きます。

最近、どうしても頭と心に沁みついている言葉。

 

突然なんですけど、私自身がヒーラーなのに癒しって言葉に難しさを感じるんですよね。

 

『私は癒しが完了しています。』

 

大事な事なので2回書きましたが、私はこの言葉を言うセラピスト様やヒーラー様、カウンセラー様を本当なら凄い事だけど…本当に??という目で見てしまいます。(現時点では)

正直、癒しなんて一生かけて取り組む事だと思っているからなんですが…。


私の話になりますが、癒しという言葉に期待し過ぎて、裏切られたという事があります。

 

いろいろな人が集まると考えも十人十色で、それぞれが癒しや愛を学ぼうといる生徒であっても、人が集まればやはり争いというか意見の相違は起こる。

しょうがないと思いますよ。

でもさ…癒しの場所で争いって…なんか冷めるっていうのか…。

癒しの場のはずなのに、嫉妬や思考の押さえつけとか見てしまうと、結局愛とか癒しとか無理って事だよね…って感じてしまうというか。

愛はまだ無償の愛や親子愛など美しく素晴らしい物がありますからまだ目にする事もあるけれど、『癒し』の現場は…目にする事が私は少ない。

 

なぜヒーラーやセラピスト、カウンセラーになったのか?

人の心を癒したい・救いたい・自分と同じような経験をした人に同じ思いをして欲しくない、もっと軽やかに生きる事が出来ると伝えたい…、皆が幸せになって笑顔で人生を歩んでいくお手伝いというか……おおまかに書くとこんな感じかと思うのです。

 

正直、軽いトラウマしかなくそれを自分で超えていけるような強さを持ち、トントン拍子で人生を歩いてきた人が、ヒーラーとかセラピストとか、そういったお仕事を選ばないと思うんですよ。

なぜヒーラーやセラピスト、カウンセラーという仕事を選んだのか。

 

誰が聞いても不幸と思う事を気にせず幸と思える人、明らかに幸せだと思うのに不幸だと嘆く人、どちらの人にセラピーやカウンセリングが必要か…私は後者だと思うのです。

 

数回のセラピーやカウンセリングで笑顔になれる人、何年か掛けてじっくりとセラピーやカウンセリングに取り組んで、やっと笑顔が出て来る人、何年掛かってもモヤモヤが続いてしまう人、強さや弱さは人ぞれぞれだからこそ、見えない心の傷の深さや大きさは分からない。

 

もちろん、セラピストやカウンセラーの力量もあるでしょう。

でも、『私は癒しが完了しています。』って言葉は、私は言えないな…と思っています。

ハッタリでも言えて、癒しをガンガン進めていけるようなヒーラーになれたらとは思っていますが。

ハッタリと分かっていて言うならまだいいですけど…。

 

ヒーラーのくせにこんな事書いていいのかしらね。

でも、『私は癒しが完了しています。』って言葉にそんな自信がどこから来るの???と思いながら、今日も私は生きている状況ですね。

喧嘩を売っているわけではないですよ!!!

心からそう言えるセラピスト様・カウンセラー様、私は素晴らしいなと思います。

本当ですよ。

私もそう言えるよう、取り組みたいと思っています。

 

あ、現時点ではいちおう癒しって言葉について個人的に違和感があるので、代わりに『解放』という言葉を使ってます。

この方が、今の私には気が楽なので。

楽な方が軽くて良いじゃないですか。

私もまたこの世界で癒しの最中、一生勉強する未熟者です。

 

こんなお気楽ヒーラーですが、思う事がありましたらご相談下さいね。

https://spica-pearl.mystrikingly.com/