うまくやるのは難しい。努力が必要だ。でも俺は努力したい。ずっと君が欲しいから。一緒にいたいから。 | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?〜パクリ気功団の挑戦』

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ゴール設定の悲しみが忘却にあるとしたら、その反対の喜びは恋愛のような激しさにあると思います。側(はた)から見ればどうにかなっちゃったのかと思わせるような激しさが、ゴール設定の醍醐味です。

 

 

今回も前回紹介した「私の頭の中の消しゴム」と同様に、認知症と愛をテーマにした映画を紹介したいと思います。その映画は『きみに読む物語』です。これもまた忘れていく悲哀と、でも確かに愛した喜びを僕たちに思い出させてくれます。

 

*今は陰気な役ばかり演じるwwライアン・ゴスリングと、以前もブログで紹介したことのある『アバウト・タイム』にも出ていたレイチェル・マクアダムスの二人がメインキャストです。

*アマゾンプライムでいまのところ見ることができます。

 

前回の記事で紹介した「私の頭の中の消しゴム」にも共通しますが、この映画は忘れることの絶望と、愛することの喜びを両方とも教えてくれます。その絶望と喜びが、僕たちをゴール設定に駆り立ててくれるものだと僕は信じています。

 

若者が恋愛をしなくなったと言われるようになって久しいですが、それは若者が夢を追いかけなくなったという現在とシンクロするように思います。おそらくこれは未来がもうなくなってしまったことの写像なのではないかと僕は考えています。そんな時代だからこそゴール設定は無理ゲーですし、今後ますますハードなゲームになって行くでしょう。

 

まずゴール設定において修練が必要ですし、さらにゴールが設定された後もそのゴールの世界での修練も当然必要です。例えば画家になりたいというゴールが設定できたら、そのあとに続くのはデッサンなどの修練です。またゴールを更新するためにも修練が必要ですし、また更新されたら別の修練の始まりです。

 

修練修練修練の連続です。だからこそ自分の本音と合致していないとそれはキツいですし、ただ苦しいだけの単なる地獄になってしまいます。そうなるとそんな苦しいゴール設定の作業をするよりも、楽な方に逃げたくなるでしょうし、その気持ちは痛いほどわかります。

 

でも、だからこそ挑みがいのあるものですし、うまくいったときの喜びは誰にも奪えません。僕たちの身の回りにあるものはほとんど全て誰か(会社や企業)が作ったものですが、そのうまくゴール設定できたときの掻き立てられるビリビリくる感覚や、その設定したゴールの世界で上達していくことの喜びは、誰にも奪えません。

 

おそらくこれは昔も今も未来も同じだと思います。ゴール設定とはいわばクリエイターになる作業です。生みの苦しみはありますが、それでもうまくいって自分の人生が変わることは他には変えられない喜びがそこにあるように思います。

 

僕個人としてはその喜びを得ることで救われましたし、できればその喜びをシェアしたいと思ってブログを書いてセミナーをやっています。誰にも奪うことのできない確かな喜びを、その喜びは一瞬ですが、手にしたいと思う方は、一緒にやっていきましょう。

 

さて映画の内容に戻りましょう。この映画「きみに読む物語」は、月並みですが夢と愛の大切さを、それを忘れてしまう悲哀とともに思い出させてくれます。いくつかゴール設定に通じるセリフがあるので、映画の画像とともに紹介したいと思います。

 

「うまくやるのは難しい。努力が必要だ。でも俺は努力したい。ずっと君が欲しいから。一緒にいたいから。将来を思い描いてみて。30年後、40年後……。誰と一緒だ? もし奴なら行け! それが君の望みなら俺は耐えていける。無難に選ぶな」

 

強制的な努力は必要ありませんが、自分が欲しいと思う相手やゴールに対しては、意識せずに自動的に手に入れるためのハードワークをしてしまいます。それが努力はいらないのカラクリです。誰かから強いられる努力は遠ざけて、自分が内発的にしてしまうハードワークに目を向けましょう。苦しいけど、その先に何かあるはずだと思えるものが、内発的なハードワークです。

 

例えばコーヒーを飲まないとやる気が出ないものは、外から強制された「努力」の可能性が高いです。やる気を出すアイテムやスイッチに頼らずともつい勝手にやってしまうことにフォーカスしましょう。

 

そしてちゃんと自分が心から望むことでゴールを設定することです。間違って設定したゴールに閉じ込められると喜びのない地獄を生きることとなります。

 

最高の愛は魂を目覚めさせ、人を成長させる。ハートに火をつけ、精神に平安を与える。君がそれをくれた。僕もあげたかった。

 

多くの人が恋愛をしなくなった現在だからこそ、あえてそれに挑みましょう!当然恋愛ですから痛みも苦しみもあります。他人同士なのですからそれは当たり前です。でもそのような痛みや苦しみの先にある確かな暖かさや一人では生み出せない喜びもそこにはあります。

 

ゴール設定は恋愛に喩えられますが、喩えではなく同じものだと思います。いまいち運動とか職業とか趣味のゴール設定がうまくいかないのなら、恋愛にフォーカスしてみてはいかがでしょう?そこにしかない喜びを追い求めてみるのも有効です。急がば回れなんて格言がありますが、案外恋愛から入ったほうが他の分野のゴール設定も回り始めるかもしれません。

 

一度ハートに火がつけば、現状は動き始めます!!

 

「私はどこにでもいる、平凡な思想の平凡な男だ。平凡な人生を歩み、名を残すことなくじきに忘れ去られる。でもある一つだけ誰にも負けなかったことがある。命がけである人を愛した……。私にはそれで充分だ」

 

want toやゴールさえあれば、他に何もいらないのかもなと思います。そこに自足できればそれだけで幸せですし、それが上達していけばフォロワーもお金も付いてきます。でもそれに惑わされずに、自分のwant toやゴールだけにフォーカスしましょう。

 

地位や名誉に僕たちは自分が思っているよりも弱く一度それを手にすると執着してしまいます。自分はそんなものに目を奪われないと思っている人ほど、コロッとそれに惑わされます。事実とはいつも皮肉なものです。

 

そうならないためにも、周囲に流されることなく、自分の本音から生み出されるwant toやゴールと、それに対する愛に自足しましょう。「もっともっと!」と煽られても同化せず、シンプルに自分が好きなことをやりましょう。

 

死ぬときに築き上げたものは失われますが、want toとゴールに自足する喜びは、息が止まる直前まで続くように思います。どうか他者に惑わされず、好きなことをやりましょう。

*エピローグで死の直前について書かれています。これを読むと自分が好きなことを徹底してやっていないと、死ぬときに強烈な後悔をしてしまう恐怖を体感できます。

 

ますます時代は混迷を極め、いわゆる成功のチャンスの芽は摘まれ、人も社会も堕ちていくと思いますが、そんな時代でもきっと自分のwant toやゴールがわかりそこに自足さえできていれば基本的には大丈夫かなと思います。

 

まずは自分の抑え付けている本音を解放し、そこから真に自分のやりたいことやゴールを見つけ出しましょう!

 

夢と愛が奇跡を起こすと信じて。

 

「あなたは私たちの愛が奇跡を起こすと思う?」「ああ、思うよ」

 

奇跡を起こすために、まずはゴールでもなんでもメモや手帳に書き残すことから始めましょう。これはいまの自分のためではなく、未来の自分を助けるためです。いまの自分のメモするのがめんどくさいというエゴを抑えて、未来の自分のためにゴールやひらめきを書き残しましょう。

 

ちょうど『君に読む物語』や『私の頭の中の消しゴム』で、認知症になってしまった側が、愛する人のために手紙やノートを残すように。

 

 

【映画紹介】

 

ライアン・ゴスリングとレイチェル・マクアダムスの他の映画も紹介しておきます!時間があるときにぜひ!!また折に触れて紹介します!!!