それが
魂のブループリント(青写真)とされるもの
それぞれが 何らかの設定の元に
魂を磨くために 地球に降り 学びを得るのです
だからね?
すべては 完璧
一見ネガティブにみえることも
魂には必要な経験であるんです
私は無償の愛と自立を学び得る為に
この地球に降り立ちました
でも それを学ぶためには真逆の世界を得る必要もありました
なぜなら この世は陰と陽の成り立ちがあり
どちらの世界をも手に入れてこそ統合するのですから
無償の愛について
最近 深く理解できたことがあります
それは「無」であるということ
好きの反対は無関心、とも言いますが
私が言いたいのは それとは違って
信頼・信用をベースにした「無」であること
「無」であるからこそ
それは 時には「なにもしない」も愛になり
時には「怒る・叱る」も愛になるのです
※ここで言う「怒る・叱る」は感情的なものではなく「無」をベースとした冷徹さで信頼信用ベースのものです
一般的に無償の愛とは母子関係を例えにされますが、現代のそれは無償の愛とは違うと私は感じています
なぜなら私が説く無償の愛だと
子供を全面的に信頼信用し
何もしないを選択する親…なんて現代にいるのでしょうか?
私は母子間の愛は 無償の愛というより 純愛ではないかと感じます
前述した通り 統合することが この世の理だとしたら、愛憎(執着・固執・依存・エゴ)と純愛(ひたすらな ひたむきな愛)そのどちらも経験したときに無償の愛を知るのです
まさに今の私は
彼との間には「無」があり
ただ彼を信頼信用し「何もしない」を選択している最中ですが
確かに私の中で もしこれをやり切れたら
めちゃめちゃデカい揺るぎないものを 彼も私も手にするんだろうな、と感じています
今回の出来事で
私は私の過去と向き合い、過去の母と向き合いました
それは これまでにも 何度となく向き合ってきましたが 1度や2度向き合ったからって解決するようなものではなく とても根強いものでした
2日ほど前に夢をみました
母は闘病の末他界し もう この世にはいないのですが
夢の中で母は病床にあり家族で会いに行こうと話し合っていたときに父がひとこと
「これで最後になるかもしれない」という発言をしていたのが夢から醒めた今も頭に残っているんです
"これで最後になるかもしれない"
私は母の呪縛から ようやく解放されるのかもしれないけど 何か潜在意識的には寂しさを感じているのかもしれませんね
憎しむのではなく
縁切りをするでもなく
互いの解放と許しを
そして 全てへの信頼と受容を
そんなことが ようやくわかっちゃった今の私は まさに これ!!↓↓↓
戦いが終わった後の脱力感…
半端ないですwww
※わかる人には わかるハズwww
花羽𓂃𓈒𓏸໒꒱