私の「核」となるもの


それは 固く閉ざされたパンドラの箱の

その奥に 小さく 輝いて"私"を待っていました





「まあいいや」


そう済ませてきたこと


でもそれは 私が向き合いたくなくて

ずっと避けていたことでもあった




「自分を生きる」という

この世界に足を踏み入れてから

過去を遡ったときに

どうしても思い出せない"時"があった


それは私の幼少期で

特に小学生〜中学生にかけて


楽しい記憶も

悲しい記憶も


なにも思い出せなくて

だから 「まあいいや 思い出せないのなら仕方ない」で済ませていました




先月末あたりから

自分自身と より深く向き合う流れがきて

その流れから 私の幼少期と向き合うべきことになり 思い出せない過去を頑張って思い出してみようって私は意を決したのです


そうして みつけた ひとつのカケラから

芋づる式の様に 私の幼少期が蘇りました


私はとても内気な女の子で

人見知りが激しく人間関係が激苦手で

いつも1人か友達がいても1人か2人

学校が大嫌いで先生も大嫌いで

授業で当たられたりすると極度に緊張が走り頭の中は真っ白になり答えられず震え

勉強も鬼苦手でした





母親との関係も良好ではなく

毒親とまで言わないけど

まっすぐ向き合ってくれる人ではありませんでした


母がまだ生きていたころ

大人になってから幼少期の寂しさを打ち明けたことがあり

母はショックを受け謝ってはくれたものの

私の中でそれで母親問題が終わったわけではありませんでした


報われない思い

解決しない問題


心は寂しいまま


なぜ??…


大人になり謝られても

"過去が"私はずっと許せなかったのです



「さらに その先を みよう」


今までは避けてきた その奥に

深く深く潜っていき見えてきたのは


今だからわかる自分のことでした


客観的に幼少期の私をみて

対人恐怖症とエンパスまたはHSP「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」だったんじゃないかと思ったんです


そりゃ生きづらいよね

そりゃ集団生活苦手だよね


そんな幼少期だもの

母親に自己表現することも

出来なかったのは当たり前で

察してくれ女になったのは当然です


ちなみに今も集団は苦手です

大勢を前にしての自己表現は激苦手!

極度に緊張し自分らしさが失せてしまう


気付いたときには既に自信のない私がいて

その自信のなさは自己評価の低さで

その自己評価の低さは対人恐怖症からの他人との比較で

他人と比較するほどに自己へのプレッシャーは増し

だから失敗を恐れ完璧を求めたし 

その失敗を恐れたのは自分に自信がないからで…(気付いたときには既に自信のない私がいて~に戻る)


はい、負のループ笑い泣き



そうして出来上がった「幸薄女の大人の私」

20〜30代が まさに 不幸自慢の女になっていたというwww




ハーーーーッ (⊙_⊙).ᐟ.ᐟ.ᐟ と

自分のことが腑に落ちたときにわかりました





あ、これ…

誰も悪くなかったってやつ笑い泣き




だって それ たまたま だもん


母親の背景とかも察し(推測し)てみたり(考察したり)もしたけど、多分これが正解


すべてが たまたま

そう展開されただけ笑い泣き


そこに理由つけたり

カルマがどーのってことにしたり

自分が選んできた親ってことにしたり


して


考察する

いろいろ論もありますが


それやると

たぶん 一生かかっても答えでない!


あ、でもこれは

あくまで私の場合ですひらめき電球


なんでかって言うと

私は謎解きが好きだから爆笑

※ここについては恋愛ブログで解説します



だからと言って母親がまっすぐ私に向き合ってくれなかった事は良いとは思わない

良いとは思わないけど 今は「仕方ない」とは思える


あ〜あ、やっちゃったねえーって思う

現実逃避は時と場合によっては いけないことだよって思う


けど、私も現実逃避したことあるから

仕方ねーなグラサンって思う(笑)


https://ameblo.jp/nalipsychology/entry-12701956453.html


実はこのタイミングで

久しぶりに目にしたナリブログに

とても救われました👏



母親はダイヤモンドだ

その母親から生まれた私もダイヤモンドだ


ただ母親は自分がダイヤモンドである事を思い出し生きられなかっただけ

だけど私が自分はダイヤモンドだと思い出せたから私の母親もダイヤモンドだ


母親を「認める」とか「許す」とかじゃなく

ありのままをみて客観的に自分を理解する


それが大事なんじゃないのかな手


今は そこでフラットな自分がいるし

そんな自分が不快ではなく「快」であること

それが私の真実なんだと思います







花羽(ふらわ)