ずっと何か新しいことを探してきた。
自分に起こってくる変化に 夢を見、希望に胸を膨らませていたり。
ところが、どんなに新しいことを目指そうとしても、
いつの間にか 元のいたところに帰ってしまう。
そして何も新しいことは見つからず、
先人の素晴らしさを思い起こしてしまいます。
テーマに『親鸞とスピリチュアル』としました。
お経の中を紐解くには 凡人には計り知れないことが
たくさん書いてあり、うかつな表現では表すことができません。
だから、自分の読んだ本の文章をお借りしてご紹介したいと思います。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)の書かれた
『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)の冒頭の言葉より
つつしんで浄土真宗(じょうどしんしゅう)を按(あん)ずるに
二種(にしゅ)の回向(えこう)あり、
一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり。
これを私的には、
この世を全うし証定聚(しょうじょうじゅ)、不退の人生を生き、
あの世にいって、また還ってきて 人々の救いに従事する。
と 解くらしいのですが、
これこそ、生まれ変わってくることを表していると思います。
もう少し 詳しく解読いたしますと、
ここからは 「ポケット 親鸞の教え」 山崎 龍明さんの本より
『 念仏とともにこの土を生き抜き、信心の行者として正定聚、不退の人生を
生きる。この道のりを往相の一道というのです。
そして、浄土に往生すると同時に仏と成り(覚者)この土に還って、
人々の救いに従事する。これを還相といいます。
この、往相、還相の働きが、阿弥陀如来によってこの私に恵まれる。
これを 仏よりの回向(えこう)《恵み》といいます。』
そして
『親鸞は「信心の人のこころ、常に浄土に居(こ)す」といっています。
それは、信心の人は浄土にいるということでは ありません。
信心に生きる人のこころは、すでに浄土(真実)のこころを獲得している人
ということです。』
とあります。
この 「信心」というと
なんだよ 末香くさいとかに なってしまうかも知れませんが、
たとえば スピリチュアル的に言っても、
信じて自分の魅力を見出そうとしているのですから、
同じ 「信心」では ないかと思います。
次回 もっと 現代の読みで解読したいと思います。
分かりずらいのを 最後まで読んで頂きありがとうございました。
