人から認められる人に、もっと能力を。


人からモテる人に、もっと美しく。


魅力的な人間へと、もっと成熟に。


自由に生きるのに、もっと稼いで。


人から愛される人に、もっと善良に。





どこまで目指しても終わりが来ない、

自分や世の中の視線から感じる叱咤激励。









「ここから降りたいショボーン









上手く生きていこうとする自分の奥の方で、本当は小さくそんな声もあった。







でも、降りた先には誰も自分のことを見てくれなくなるんじゃないか、


ひとりぼっちになるダメな自分になるくらいなら、この声は押し殺して生きていこう。



どこかでそんな誓いを立てたかもしれない。






なんとなくずっとある、人と深く繋がれないような孤独な感覚をうっすら持ちながら。




この自分にしか分からないような孤独感、誰が受け止められるのだろう、、。







私自身、色んな心理学やスピリチュアル、人間関係の中でたくさん学んで来ながらも、正直に自分を振り返ったとき、学んで来たわりには人には言えない絶望感を感じて来てました。


ポジティブな思考は増えてきたはずなのに、なくならない(絶望感や孤独感)。





「あなたならできるよ、大丈夫だよ、信じてるよ」そういうことでもなくて。





本当は、ポジティブな自分だからじゃなく、

皆んなが認められないような自分でも、安心して認められたい。



そんな場でないと、

本当の自分は開示出来ない

本当の本音は出て来ない

深く人と出会うことは出来ない





だけどそんな誰もが認めたくない人を心底認める?って、私含めてできるんだろうか?(私には、ホラー映画の貞子を心底から抱きしめなさいと言われるような挑戦だった)



でも、そんなどこにもないだろうと思っていた場を経験した時、






何重にも身につけて来た重い 馴染みにしてた鎧を 全部下ろしたような、




やっと、本来の生命としての自分を見ることができたような、



やっと、生身の自分で、人の“存在”を愛する温かさを思い出してきた。






そこで知る、当たり前のようで遠かった

「ひとりじゃない」という感覚



それは結婚しているか、友達がいるか、両親に大切にされてきたかとかそういう条件とは全く関係ない。






人と人との原点かもしれない。

“別の人間と共にいる私”が存在している安心感で、手を繋ぐ感じ。






絶望しなくても、上手くやれる自分を求めなくても、

自分の存在を聴いてくれる人の存在が、ちゃんといると思える安心感のある、人と人。






この 人と人との生身の信頼が、私が大切にしているカウンセリング・セラピーの原点でもあり、

もれなく日常を生きている私も求めています。



そして、実は気付いていないだけで、いつでも自分の中にもあるものです。





その安心感、信頼を人と人の間で共有していく照れ




誰からも必要とされていないような、誰にも言えないような自分を抱えていても、共に “生きるいう実感” ハート

カウンセリング・セラピーはそんな場でもあるのです。



写真  春〜夏の真鶴  自然瞑想の旅




今月もこの連休に、東京へOAD心理セラピスト養成講座アシスタントに行って参りました。

『フォーカシング』と『フェルトセンス タッピング』というセラピスト筋を鍛えるような大切なOADの基礎になるセラピーの講座でした。


東京から帰ってきて、セラピーとは、深いところで求めている人と人との原点を、改めて思い出させてくれる、そんなふうに思ったのでした。


OAD養成講座フォーカシング 講師&アシスタントセラピスト
右下  本人





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