「疎外感」から「所属感」へ|苦手な集団の中でのある修行と不思議な副作用 | The Armonizador dances with the breeze | 新潟の治療家

The Armonizador dances with the breeze | 新潟の治療家

難治性の症状を対象とする治療家(整体・心理・エネルギーの手による治療)です
 
3~6次元レベルの調和を目指す治療を行います

Armonizador

にはそのような意味が込められています

 

今日は少し不思議で スピリチュアル な内容になるかもしれません

(まだ書く内容を考えていません いつものことですが)

 

ご興味ない方もおられますので そういう方は また どこかで お会いできれば幸いです

 

 

 

 

随分前に投稿した内容で

 

まだ リストラ後で 転職先が決まっていない不安定な心の時期

 

車を走らせていたら

子どもの野球かなにかの 保護者が集まって

スーパーの駐車場で 丸くなって談笑している姿を見かけた

 

その時 自分の心に 強い

 

疎外感

 

を 感じた

 

 

という記事が あったかと 思います

 

 

 

 

そのブログを書きながら 自分の子どもの頃まで遡り

 

学校にも

 

家庭にも

 

居場所がない感覚

 

集団の中に

 

入りたいけど 入れず

 

入ったとしても 居心地の悪さを 感じてしまう

 

そんな自分に 会ってきました

 

 

 

その時の結論はやや無理があったと 今は思います

 

 

まだ 自分の居場所を 求めている気持ちがあり

 

でも 現実には

 

コミュニティにも 職場にも 家庭にも

 

居場所が無いため

 

スピリチュアル的に 自分に 許可を出そうとしている

 

そんな 内容だったかと 記憶しています

 

 

~~~

 

 

現在 この問題を 自分なりに 解釈すると

 

その時の結論とは だいぶ

 

異なります

 

 

 

自分の居心地の良い場所を

 

もはや 自分から 求めてはいません

 

 

 

幸い 転職先の職場は 大変 優しい気持ちが溢れるところです

 

 

家庭環境は

 

傍らから見たら

 

「なぜ 逃げない?

 

 なぜ 離婚しない?

 

 別居しない?」

 

という状況で 何も変わっていません

 

 

気持ちが落ちることも ありつつも

 

その気持ちを引きずることも ありません

 

 

 

 

これで 良い と思ってさえ います

 

 

 

 

もっと 今よりも 最悪の状況になっても

 

それで 良い とさえ 思います

 

 

 

というか これ以上悪くはならない

 

と 心の奥で 信じられているので

 

このような 気持ちになっている

 

と 思っています

 

 

 

 

 

なぜ そう思えるのか?

 

それは 全て 自分の人生が 証明してくれていたからです

 

自分の人生を 悲観し 否定していた 私ですが

 

 

結局自分が この社会での 役割を

 

きちんと 果たすことができるように

 

必要なものが

 

必要なだけ

 

私に 与えられてきた

 

と 思うことができるからです

 

 

 

(実際は かなり 苦しみの量は でっかくて

 耐えられない

 タヒにたい

 帰りたい

 と

 何度も思ったものです(笑))

 

 

 

ですので

 

自分の居心地の良い場所を

 

探し続けるような

 

マインドは

 

自然に 無くなっていました

 

 

 

 

自分がいるべき場所に

 

必ず

 

呼ばれるからです

 

 

時には リストラのような

 

巨大な衝撃をくらっちゃうこともありますけど・・・(笑)

 

 

 

~~~

 

 

 

4月から始まった

 

治療家 としての 修行で

 

さらに

 

自分の居場所

 

の 感覚を 得ることが できるようになった

 

ことも

 

今の心持ち に

 

大きな影響をいただいたとも

 

思います

 

 

 

 

感覚を得ることができるようになった

 

と 思わず 書いてしまいましたが

 

ごめんなさい

 

まだ 修行中です

 

 

 

治療家が 患者さんを 治療するときに

 

キープし続けなければ

 

ならない

 

という感覚です

 

 

 

一瞬できても

 

キープ

 

するのが 難しい

 

 

 

ただ これが 少し 

 

できたかな?

 

と思える 治療をしたとき

 

 

不思議な 現象が 起きます

 

 

治療は 結局 うまくいきます

 

 

そんな 成功体験を 少し 持ってしまうと

 

やっぱり 日々 修行 してしまうのです(笑)

 

はっきりいって 変ないい方ですが

 

楽しいです(笑)

 

 

 

そして 不思議なことに

 

この 治療家が持つべき感覚 は

 

自分が

 

大きなものの

 

一部でである

 

感覚に近いのではないか?

 

 

思うのです

 

 

師匠のA先生は そういう 説明はされていませんが

 

私個人としては

 

何か 安心できるものに 所属している

 

感覚を 持ちます

 

(今度先生に聞いてみよう)

 

 

~~~

 

 

先日 娘が通う小学校の 運動会 を 見てきました

 

以前の私にとって

 

大変 苦手な場所です

 

 

あちこちで

 

パパ友 ママ友 どうしが

 

挨拶をしあい

 

談笑し

 

「この前 バーベキュー 一緒にやったの良かったから また やりましょう!」

 

みたいな 話が 耳に入ることが

 

苦痛でしょうがなかった 場所です

 

 

 

 

「今回は どうだろうか?」

 

と 少し 心配しつつ 小学校へ向かいます

 

・・・

 

やっぱり ちょっと 苦手です(笑)

 

被害者意識のような疎外感を

 

少し 感じてしまいます

 

 

「あはは やっぱりそうか じゃぁ よし」

 

 

と 思って

 

紅組 白組 の戦いを観戦しつつ 例の感覚の 練習をしました

 

 

「集団の中で行うのはリスクがちょっとあるから 気を付けて

 

 以前 感覚そのままで スーパーに買い物に出かけて えらい目にあったことあるから(笑)」

 

 

 

と 先生に注意を受けたことがありますが

 

そこまでのレベルには 私は到達していない 確信があるため

 

大丈夫だろう

 

と思って 行ってみました

 

 

 

いいですね やっぱり

 

 

安心します

 

 

穏やかな気持ちで 娘の頑張りを 観戦することができました

 

 

~~~

 

 

さて 家へ帰ろうと

 

その感覚を 終了させて 歩き始めましたが

 

まだ その感覚を 始めることも 終了することも 下手くそ なのかもしれません

 

 

 

運動会を見に来ていた 保護者に抱かれている

 

赤ちゃんや

 

地べたで遊ぶ ちっこい子どもたちと

 

何故か

 

やけに

 

目が合います

 

 

 

散歩をしている 犬が

 

何故か こっちに向かって 走ろうとして

 

ご主人の持つロープが ぴーん となります

 

 

 

いつもは近くを通りかかると

 

「なんだ やめてくれよ! 近寄んなよ!」

 

と言わんばかりに 逃げる 近所の猫が

 

ふわぁ~

 

とあくびをしながら

 

逃げもせず

 

寄りもせず

 

私の歩きを見ています

 

 

 

変な感じだなぁ~

 

 

嫌な感じではないけど

 

と思いつつ

 

 

今度は 自分の車に乗って買い物に行こうとすると

 

フロントガラスに

 

雀が 二匹 やってきて

 

こっちを見ています

 

 

「雀が二匹止まるのは 電線 じゃなかったっけ?」

 

と 古い昭和のフレーズを 少し 思い出しもしましたが

 

 

やっとここで

 

「まだ 感覚が終了していないんだ!」

 

と 気づき

 

 

あらためて 終了しました

 

 

 

偶然かもしれませんが

 

偶然ではなかったかもしれない

 

そんな 体験でした

 

 

 

この感覚が 上手に使えるようになりたいと思います

 

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました

 

あなたに愛が溢れる一日となりますよう

お祈りさせてください

 

ありがとうございました