普段使いにはトランジスターアンプを使っている。一般的な民生高級オーディオアンプではなく・・・一般使いにはお勧めできないちょっと異質な業務用機ではあるが・・・有象無象のハイエンドオーディオアンプとは違って、素直で自然でエネルギーのある実体感豊かな、十分満足できる音がする。

 

個人的には、巷間高評価・高音質を謳っていても、俗に言う現代ハイエンドオーディオと呼ばれるアンプ群(スピーカーは特にそうだ)には、オーディオ的高音質だが音楽がちっとも聴こえてこない高音質のアンプが多く、大枚を叩いてまで購入しようという意欲がまるで湧かない。これは個人的な音楽の好みと聴き方と嗜好が影響しているのだろう。

 

綺麗な音はするが、演奏者の気配が感じられなかったり、上辺だけをツルツル流れていく高音質だと、いったい何を聴いているのか分からなくなって「ああ、良い音楽を聴いたなぁ・・・」という充実感が全く残らないのだ。

 

実を言うと重視しているのは録音の優劣ではなく、音楽そのものや演奏の質なので、オーディオ的優秀録音と言われるソフトを聴くことは滅多にないせいだ。とはいえ、あろうことか下手をすれば1930~1940年代のモノラル録音でさえ、本当に巧く鳴らせば録音の年次が何時なのか分からないような迫真のリアリティーで鳴る事は多々ある。信じてもらえないだろうが、事実だ。

 

逆説的に言うと、そういう古い名演を迫真のリアリティーで再生できるなら、優秀録音と言われるソフトの再生など造作もない。ステレオイメージとか空間感とか音の分離とか立体的音像の提示など、初心者のそれでしかない。その程度のものは、わたしがオーディオ初心者だった昔、とっくに随分安い機械で獲得できていたからだ。

 

むしろ困難で高度なのは、本物の質感の再現や、演奏の場の空気感の再現だ。そしてこれらの是非の判別など、実は容易だ。

 

聴けば分かる

 

下手をすれば100年近い時間や空間を超えて、ゾッとするようなリアリティーで演奏が再現されるからだ。当然、圧倒され聴き惚れる。録音の良し悪しやオーディオ的評価基準など、即座に吹っ飛んでしまうような説得力があるからだ。厳しいことを言うが、これが分からないようなら、本当に良い音を出せていないのだ。

 

これが分かってしまうと、価格の高低や一般的なオーディオ的レビューに何の価値もないことが分かってくる。最終的に手間と時間をかけ、各々の音楽を聴く空間に適した、本当の意味で音の良い機械を、その扱い方を含めて手探りで探すしかなくなる。

 

その手間暇や工夫を経て、閾値を超えたとき、貴方にとって最良の音を出す機械は、もしかすると呆気にとられるような安価な製品かも知れないし、その逆もある。

 

現行愛用しているアンプに限って言えば、わたしにとって最良の音を出す機械は、散々放蕩してきた身からすればかなり安価で、誰も採り上げないだろう、どこぞの放送局や録音スタジオで使われていたような機械だった。ただし使いこなしには相当のコツを要した。だから具体的機種名は決して明記しない。絶対に参考にならないからだ。

 

ただ、そういう手強く癖のある機械を手懐けるための基準として、優秀なヘッドホンシステムや、リファレンスとなるアンプが必要だった。個人的に当時比較的入手が容易で、ある意味絶対的な音を出し得るアンプを考慮した際、候補に挙がったのはmarntz7であった。この有名なプリアンプは、手に入れる前、某所の名手の宅で聴かせてもらったことがある。その音は氏の所有する様々な超高級アンプ群の中で、唯一異質と感じた。

 

個性や癖が無く、それにも関わらずその音は透明で澄んでいた。昔、三顧の礼を以て、氏より強奪して以来、かなりの年月が経過するが、僅かに接触不良が通電直後に発生する以外、正常動作する。そもそも氏が所有している頃からこの個体は異様であって、最初期の個体にして、ほぼ完全にオリジナルの状態を保ったまま、部品の数値は正常という、ある種呪われたような個体だったのは聞いていた。

 

人間にも、ごく稀に、年齢の割に異様に若々しい者がいるが、例えるならそれの極端なパターンだと言っていい。

 

「キミ、コイツは厄介だよ? しばらくオーディオから遠ざかるかもね」

 

分捕った際、氏に言われたことだ。

 

事実、譲り受けた後、長い期間、オーディオというものから遠ざかったのだ。

我が家に持ち込んで、音を聴いた瞬間「癖が無く、透明な音」の何たるかが、すぐに分かったが、不思議と「高音質で音を聴く」というオーディオマニア的価値観が壊れ、音楽はずっと聴いていたが、オーディオ的高音質という感触が不快でならなくなって、長い間、高級オーディオの世界から遠ざかった。

 

物凄く、いわゆる「一般的高音質」が不愉快に聴こえたのだ。聴くと具合が悪くなったものだ。

 

随分たって、進化したヘッドホンで音楽を聴くと、それなりに面白いことを知ったが、ヘッドホンの世界もしょせんハイエンドオーディオオタクに毒される世界で、どんどんトンチンカンな方向へ舵をとり始めたような気がした。

 

それほど金がある訳ではないので、ちゃんとした良い音のヘッドホンシステムを改めて購い、音楽を聴いているうちに「このmarantz7」の呪いと向き合おうと思った。

 

所有するオーディオシステム(一応、かなりのもの)を初心に帰ってコツコツと調整しなおし、無駄に歳を食ったせいか、聴く音楽も、あまり言いたくは無いが、上質なものと変わり、無駄な執着が、肉体的衰え(笑)によって消えたことによって、妙ちくりんな、今となっては驚くほど安価な業務用アンプを使って、むしろ驚くような向上を遂げた。

 

音楽的知識も教養もないわたしが、多分プロの音楽評論家を超える感性を得たのは、そういう出来事がきっかけだ。「音を聴けば」「分かる」ようになった。

 

そうなってしまえば、機械の価格や評価の高低など、どうでもいい。

自分が聴いて良ければ良い。自由自在だ。

 

ようやく音から解放されて、改めて「件の、呪いのmarantz7」と向き合った。

 

定期的に通電し、温度湿度の管理も完璧に近いが、極めて古い機種には変わりない。

しかし、音は変わらない。

 

癖が全く無く、音が透明で澄んでいる。

大昔、氏の部屋で聴いた音、そのものだ。

 

科学的ではないが、理屈では解き明かせない呪いはあるようだ。

それでも、別の良さで「良い音楽を聴いた」とい充実感を得ることが、ようやくできている。

 

そういう意味では、良い音へ導いてくれる、優しい「呪い」だが、音楽好きのわたしでさえ10年というバカに出来ない時間を喰われた。これを「呪い」と言わずして何と言おう。

 

わたしの死後も、この個体は時折ノイズとか動作不良を起こしつつ、結局正常動作し続けるだろうね・・・・誰のもとに行くのだろう?

 

売る気はさらさらないし、金の問題ではない。

行くべきところへ勝手に行って、呪いをかけるのだろう。

 

まぁ、我ながらとても残念なことに、わたしは当分くたばらないだろうが・・・(笑)