教育の「外部経済効果」 | 豊中市庄内の塾、佑学塾、塾長のブログ 

教育の「外部経済効果」

外部経済効果とは、ある個人の活動が、市場を経由しないで、
他の個人に与える、好ましい効果のことである。

例えば、農業経営者が果樹園を営むと、近くの養蜂家は蜂蜜の
生産を増加させるできるので利益を得る。このとき、農業経営者は
養蜂家から金銭の支払いを受けることなく利益を与えている。

これを教育に置き換えてみた場合、教育で社会的価値や行動規範
を教えれば、その好ましい影響は社会全体に及ぶ。また、教育により
社会の成員の識字力が高まれば、情報伝達が容易になるなどの、
社会全体としての利益を得ることができる。

もっと卑近な例を言えば、無知・無学な人々が住む社会に、唯一人
博識・博学の個人がいたとする。この個人は他の人間とコミュニケイト
できないから、自分の情報や知識を他人に伝達することができない。
他人が持っている情報を受け取ることもできない。その人が持つ
情報や知識の唯一の使途は、自分を自家消費することだ。この場合、
この人の持つ情報や知識は完全に私的なもので、外部性は無い。

何が言いたいかというと、これを被教育者に置き換えた場合、
勉強するのは「自分のため」だけではなく、「他人のため」
ひいては「社会のため」という側面もあるのだということだ。

無論、このようなことを子供に言っても通じないし、勉強するための
説得性もありはしない。大人・親に向かって言いたいのだ。近年では、
「勉強は自分のためにするもの」という認識を持つ者がほとんどでは
ないだろうか。もちろんそれもあるのだが、前述の観点も必要だろう。

「勉強は自分のためにするもの」ということだけでは、では自分のため
にならないから、自分には必要ないから、というエクスキューズ(言い訳)が、
容易に成立し得る。

だからと言って、「社会のため」に勉強しなさいと子供に言え、と
いうことではなく、そのような意識を持ち、子供が社会に出たとき
困ることのないように、また、未来の社会がより良くなるように
腐心することにも責任があるのだ、と言いたいのだ。

子供にしっかり勉強させるということには、「個人的」「社会的」
二重の責任が我々大人・親にはあるのだと言いたいのだ。