外部経済効果とは、ある個人の活動が、市場を経由しないで、
他の個人に与える、好ましい効果のことである。
例えば、農業経営者が果樹園を営むと、近くの養蜂家は蜂蜜の
生産を増加させるできるので利益を得る。このとき、農業経営者は
養蜂家から金銭の支払いを受けることなく利益を与えている。
これを教育に置き換えてみた場合、教育で社会的価値や行動規範
を教えれば、その好ましい影響は社会全体に及ぶ。また、教育により
社会の成員の識字力が高まれば、情報伝達が容易になるなどの、
社会全体としての利益を得ることができる。
もっと卑近な例を言えば、無知・無学な人々が住む社会に、唯一人
博識・博学の個人がいたとする。この個人は他の人間とコミュニケイト
できないから、自分の情報や知識を他人に伝達することができない。
他人が持っている情報を受け取ることもできない。その人が持つ
情報や知識の唯一の使途は、自分を自家消費することだ。この場合、
この人の持つ情報や知識は完全に私的なもので、外部性は無い。
何が言いたいかというと、これを被教育者に置き換えた場合、
勉強するのは「自分のため」だけではなく、「他人のため」
ひいては「社会のため」という側面もあるのだということだ。
無論、このようなことを子供に言っても通じないし、勉強するための
説得性もありはしない。大人・親に向かって言いたいのだ。近年では、
「勉強は自分のためにするもの」という認識を持つ者がほとんどでは
ないだろうか。もちろんそれもあるのだが、前述の観点も必要だろう。
「勉強は自分のためにするもの」ということだけでは、では自分のため
にならないから、自分には必要ないから、というエクスキューズ(言い訳)が、
容易に成立し得る。
だからと言って、「社会のため」に勉強しなさいと子供に言え、と
いうことではなく、そのような意識を持ち、子供が社会に出たとき
困ることのないように、また、未来の社会がより良くなるように
腐心することにも責任があるのだ、と言いたいのだ。
子供にしっかり勉強させるということには、「個人的」「社会的」
二重の責任が我々大人・親にはあるのだと言いたいのだ。