なぁなとの2849日【推しと呼び始めた日まで編】⑥ | へーやのDD的ヲタ活のすすめ

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※本ブログは2017~2019年の出来事についての記事です

当時は萌えこれ学園というグループ名でしたが、全て現在の燃えこれ学園の表記で書いています。
■前回のブログ 


さて、燃えこれ学園が日本武道館で単独公演を目指して掲げた3つのワンマンライブの動員イベント「Go to 武道館」が2017年10月の3rdステージの未達で終わったことは書きました。


しかし、そのステージの上からプロデューサーの“理事長”が「もう一度チャレンジさせてください!」と宣言。


そのリベンジのライブ「追試公演」の場所に選ばれたのは3rdステージと同じ「赤坂BLITZ」さん。


そこからメンバーは様々な形で宣伝を頑張りました。


3rdステージまで喉の不調を押して頑張っていたなぁなは、終了後まもなく手術をして声が出ない日々を過ごすなど、渾身の力で追試公演を目指します。


そしてその日“2018年3月20日”がやってきました。


もちろん僕も赤坂BLITZさんへ駆けつけました。


未達成となった3rdステージと同じ場所、同じ火曜日の夜と同条件のため、動員の感じが分かるのですが、明らかに多い気がしました。


その時のライブの感想は過去ブログを添付しておきます。


■その時のブログ 


結果は見事、動員目標600人に対して688人と見事達成!

もちろん、単純なお客さんだけでなく、メンバーや関係者の身内、友人、アイドル仲間なども参加して総力をあげて取り組んだと思いますが、やはり688人はすごいです。


やはり、この泥臭く前に進む燃えこれ学園となぁなのドラマは最高の形で結果を出してくれました。


■その時のチェキ


そして、いよいよゴールの武道館への最後の関門がやってきます。


舞台は、あのハロプログループ(なぁなが大ファン)など数々のアイドルが聖地として大切にしている「中野サンプラザ」さん。収容人数2000人を超える大ホールです。


「追試公演」のあった2018年3月から8か月後の2019年1月25日に「Go to 武道館 Final Stage」の開催が決定したのでした。


そこでチケット2000枚ソールドアウト、当日来場者数1800人という途方もない目標を掲げた燃えこれ学園。


熊野はるさんを中心に、なぁなもメンバーも宣伝プラカードを背負って、渋谷の街を練り歩いたり、8か月間は全身全霊をかけて集客のための活動を頑張っていました。


もちろん、その間、僕は7月に3度目の當銘菜々生誕祭(at初台DOORSさん)、熊野はる生誕祭(マイナビBLITZ赤坂さん)も参戦しましたし、なぁなたちもTokyo Idol Festival出場をかけたShowroom配信イベントなど、いくつもの出来事を経て、その日にたどり着いたのでした。


■三度目のなぁな生誕チェキ


■はるさん生誕チェキ

そして当日。

僕は関西人ですが、それでも子どもの頃から“中野サンプラザ”の名前は知っています。

それくらい超有名なホールです。


そこで地下アイドルが単独公演をする、それだけですごいこと。

そして、つい先日閉館した中野サンプラザさんに僕が行ったのは、後にも先にもこの日だけ。

當銘菜々と燃えこれ学園に出会わなければ、一生中野サンプラザさんへ行くことはなかったでしょう。


結果は、ざんねんながらライブ開始とともに観客席の入りを見たら容易に分かりました。


僕も2人ほど誘ってチケットも購入したのですが、1人は体調不良、もう1人は仕事が終われず、結果つけられた動員は自分だけ。

申し訳ない気持ちでした。


でも当時のツイートやブログを見返しても人生の記憶に残るとてもステキな思い出だったことは間違いありません。


■当時のツイートたち








自分のドルヲタ人生において、いつまでも大切にしたいそんな夢のひとときでした。

※当日はS席のみチェキを撮れたため、チェキは無し


■その時のブログ 


ここで1つの区切りと考えた燃えこれ学園は、それまでの『萌えこれ学園』から『燃えこれ学園』に改名を発表。


そしてその年の4月の新年度からメンバーを2グループに分けて競わせる体制とし、そのグループ分けのための「選抜総選挙」を3月まで開催することになったのでした。


達成感と武道館へたどり着けなかった喪失感から、なぁなもメンバーもすぐに気持ちを切り替えるのは、きっと相当しんどかったはずです。

本当は、なぁなを引き続き応援してあげるべきでした。


ですが、正直僕も疲れていました。

そのため何となくなぁなからも燃えこれ学園からも足が遠のいてしまいました。


でも心のどこかで、まぁなぁなは1位は安泰でしょ?とぼんやり思っていました。

ところが結果は2位。


これまで月間で行われていたつうしんぼランキングで、生誕ライブのあったメンバーを除き、なぁなが1位を取れないことがほとんどなかったので、この結果には驚くとともに、全くその期間、関与しなかった自分は、なぁなへの罪悪感に陥ってしまったのでした。


そしてなぁなは、自分にとって推しなのか何なのか。そんなことを考え始めるきっかけに。


その⑦へ続く。