明日という錯覚誰かの命が奪われた 毎日 そんなニュースから1日が始まる 彼らはどうして その時そこにいたのか 彼らはどこへ向かっていたのか 彼らは何かを やりかけたままにしてはいなかっただろうか 「行ってらっしゃい」と家族を見送る 帰ってこないかもしれない 自分がもう ここに居ないかもしれない そんな不安を駆り立てるために 発信されているようにさえ感じてしまう それとも ここに居てくれた ここに居る それを噛み締めて 今を生きるための忠告だろうか