ファッションに求められるもの(大手アパレル不振の理由)

 

2000年以降ラグジュアリーブランドが「大衆を取り込み戦略」を採用して後、ファッションパラダイムは変わりました。登場当時は個性的の象徴であったセレクトショップも消耗品の集積場となり、百貨ブランドは自信や情報のない人を褒め倒し、持ち上げることで売上を立てる平場化が進みました。山形県は日本で唯一百貨店の無い県となり徳島県もそれに続く予定です。今後も百貨店は減り続けるでしょう。

 

その日の売上で精一杯の店舗からコアな情報は聞けるのでしょうか?素晴らしいサービスの提供を期待出来るのでしょうか?

そう考えると百貨店の方向性は自然に定まってきそうです。

 

ファッションも買い方や場所で消費者としての知見や成熟度が問われるようになるのかもしれません。「あそこで買ってればカッコいい。失敗はない。」そういう価値観は無くなりつつあります。

 

 

ファッション価値の変遷

 

明治以来:服が階級や所属を示す「社会性を示すツール」

戦後~バブル期:人目を過剰に意識してどう見られたいかの「自己表現ツール」

2010年以降:「他者との関係性、思考を示すツール」と変わってきました。

 

2000年代のファッションにはまだ、帰属先を示すという機能はありました。森本容子さんに象徴される渋谷109がまだ伝説的な売上をたたき出していた時期で、あのビル自体がその集団に帰属したい人たち「社会性を示すツール」でした。あるブランドスタッフの休憩バッグは気合が入っててカッコ良かったです。

ハイブランドは日本のマーケットで啓蒙型のビジネスで顧客リピート率を上げる戦術を駆使し、中国市場の参入準備をしたたかに整えていました。

あるブランドの入社時に本国の人間と話したことが今でも頭に残っています。「極東訪問の主目的は中国だ。」

数万円の小物から顧客化を進め他の消費を自社ブランドに集約させる手法は本当に効果的でした。マーケットが大きく変わったのはサブプライム、リーマンショック後です。

 

 

ハイブランドが全ての元ネタなのは今も変わらない

 

中間層が減った現代。時代を象徴するデザイナーは変わりましたが、未だハイブランド が才能を駆使し世に発信するコレクションは高い価値を持っています。

その理由は時代を的確に捕え、自己表現も込めた上で作品を創るから。

コレクションをパクっただけの企画や日本の大手アパレルの名前借りライセンスブランドには形のないものを造形する能力も才能も不要なのはお分かりでしょう。

そこに気付いた人が増えたことが百貨店アパレルの不振の大きな原因です。自分の培った知性や感覚で『モノ』にビビらずに対峙できる人が増えたのです。

もはや『新しい!楽しい!面白い!』と感じられないものには価値はありません。

 

消費者の知見が問われる時代においては、あなたが服に対してどんな思いを持っているかを判別すること=友人や人づきあいの選別基準としても機能し始めています。

 

例えばコレクションを表面上(シルエット、サイズ感、パーツなど)をコピーした商品を着て「今っぽく見えれば十分だ」と思っているのなら、「上っ面だけの本質が分からない中身のない人だ」と見透かされるかもしれません。

 

「俺ファッション分かんないし…外見より中身だろ」、人の視点を考えない無配慮、自分を変えられない人だと判断されるかもしれません。

 

2000年代と異なるのは、たかが服があなたの知性や世の中に対する感度を示すツールとなりつつあることなのです。

 

man in black Givenchy sweatshirt standing beside of post in front of Strek store during daytime shallow focus photography