このところ、ブログ記事の更新が多い。どうしてしまったのだろうか?

まぁ、今までが あまりにも 非活動的だったせいもあるのだろう。(^ ^ ;)

 

 

昨年あたりから、自分の死というものを意識するようになってきた。10年以上、体調が思わしくなく、「あー、このまま何もできないまま死んでいくのかもな」という実感が湧いてきた。北海道新聞のお悔やみ欄を見て しみじみすることもあった。この人達にもそれぞれの人生があったんだろうな、と。今までは、それらは、記号のようなものでしかなかったはずだが。いずれは誰しも、こういった感覚になるのかもしれないけども。

 

 

ぼくが苦しく感じるのは、メンタル的にというより、身体的なものだ。鎖骨の周りで、なにか複雑に入り組んだ線状のものがあって、そこが何か詰まっている、あるいは圧迫されているような感覚がある。全身が苦しいわけではないので、そこの部分的な苦しさが解消されれば、体調がよくなるのではないかと長年思ってきたわけだ。

 

 

ここ最近思うようになったのは、これば病気ではなく障害ではないかということ。すなわち、もともと治るような性質のトラブルではないんじゃないかということ。もしそうだとすれば、実にお間抜けというか、ずっと誤解をしたままで生きてきたことになる。

 

 

23歳のころにちょっとした神秘体験をして、それからスピリチュアルにけっこうのめり込んだりもしたが、スピリチュアルよりも先に、自閉症についての理解を深める方がよかったのかもしれない。ふとそんなことを思った。いや、でも当時は、ASDという言葉はあったのだろうか? ネットもいまほど発達していなかったわけだし、まぁ、その考えは現実的ではないな。

 

 

ただ自分自身を知るという意味では、もっと人生の早い時期にASDに関しての知識や情報があったほうがよかった。それと、ぼくの患っているのが障害だったとしても、治る希望をもって生きてこられたのは、よかったことかもしれないし。

 

 

ハイ、独り言でした。次にブログ記事について。

 

 

今という時代が、大変な変革期にあるっていうことを強く実感している。だが、道をすれ違う人達はあまりそれを意識していないように見受けられる。あまりにも危機感がないので、ぼくも焦っているというわけだ。

 

 

おせっかいと言えばおせっかいなんだろうけど、ぼくも今まで、いろんな人のお世話になったし、ご迷惑をかけてきてもいる。自分なりに世の中のために何かをしたいという思いはある。だから、微力であっても、ブログ記事という形で情報を発信している。(転載することも多いが、共有が大事だからね)

 

 

焦りや苛立ちを覚えることが多い日々とはいえ、今日はいい情報をえられた。

 

 

● 藤原直哉さんの投稿 ⇩

 

 

 

ヒデヲの文 👇

 

これは、PeterSweden という人の投稿の和訳なんだろうけど、WHOの姿勢に明確な変化があったということらしい。これで一安心というわけにはいかないのかもしれないが、世界中の反グローバリズム運動の高まりによる影響ではあるだろう。

 

 

まだまだ世の中をおかしくする勢力との闘いは続くだろうけど、喜ぶべきは喜んでいこう。

 

 

最近の記事についてだけど、「河野太郎氏はなぜ・・・」とか「『生物兵器』がなぜ・・・」とかは、時代の変化に乗り遅れ気味の人達向けの内容。このところ、週刊文春すらワクチンに否定的な人達を軽く扱えなくなってきているからね。さりうげなく、シフトしてきている、(笑) まんまと情報戦にやられてマインドコントロールされてきた人も仲間っていう認識から、そんな情報もあっていいと思って投稿しました。

 

 

 

あと、このブログへのアクセス数が、このところ少し増えてきたので、そこは嬉しい。ほっこり でも、アクセス数を増やすためだけに思ってもいないことを述べたりすることはしないようにしたい。だが、”Amebaトピックス”入りは、半分冗談だが目指す!(笑)状況がおかしすぎるからね、社会の歪みが少しでもまともにならないと。子どもとか、後世をになう人達のためにも、そこはなんとかしないと。自分がもっと影響力のある存在にならんといかんっていうのは、ね、そう思うのは大事じゃないかな。

 

 

 

 

 

 

終わります。

読んでいただいてありがとうございました。