4月2日から一週間が、発達障害啓発週間ということらしい。そうだったのか。今日8日がその最終日。

 

 

今まで 自分のASDの特性について考えることを、なんとなく避けてきたところがあった。

 

 

 

エックス(ツイッター)のアスペビトさん(※)を知るまでは、自分の自閉症的な部分の捉え方がかなり大雑把だったと思う。「感覚過敏」と「コミュ障」とか、その程度の把握しかしてなかったな。アスペビトさんのツイートは、ストレートかつダイレクトという印象で、こちらに刺さってくる。もちろんいい意味で。お陰様で、生きづらさの解消の仕方とかを学べている。

 

 

※ アスペビトさんのエックス(ツイッター)のアカウントは ➡ @RealAsperger

 

 

 

 

 

 

アスペビトさんのツイートは、様々な角度からASD(およびADHD)の特性を説明しているので、「ああ、たしかにそうだ・・・!!」とショックを受けることが多々ある。類推させる言い回しよりも、ストレートにその本質を突いてくれたほうが、当事者であるぼくなんかは有難い。自己理解が深まってます。

 

 

あまりにもよく当て嵌まるので、もはやASDというのが、自分の人生の最も大きなキーワードではないかとさえ思えてきた。人生を振り返ってみて、自分の起こしてきたトラブルとか、抱えてきたストレスといったものが、ASDによるものだと妙に納得できてしまうのだった。

 

 

ミラーニューロンの働きとか体で覚える学習能力であるとか、性格や内面性以外の特性にも言及してくれている。そういえばぼくは、小学生の頃、いろいろと習い事をさせられてきたが、5年くらいピアノをやってもまったく上達しなかったな。水泳は、1-2年やったけど初期以外では上達しなかったな。冬のスキーの講習を何度か受けたが、これもストレスだった。続けていても楽しくならないのだ。(^ ^ ;) ほんとに、身につかなかったなー。まったく無駄だったとは思わないけども・・・。

 

 

それとは別に、小学6年から学習塾に週3回通うようになると、学習能力がついてきた。中一のときは、その塾内でしょっちゅう成績上位者として賞状とかもらっていたな。典型的な座学は得意のタイプ。(笑) 自分は、優秀で特別な価値のある人間だと勘違いしちゃったよ。(^ ^ ;) 学校でも、400人以上いる学年で10番以内に入ったりしていたからね。まぁ、田舎の中学でだけどもさ。

 

 

高校に入ると見事に人間関係で躓いた。躓いたというより、座礁したかんじか。比喩だけど。周りを感じないようにしようとしていたからね。今でも酷い所だったと思ってしまう。生徒の質も教師も。一部にかなり嫌われたりもしたな、こっちはとくに何もしていないつもりだったのだが・・・。あなたに純粋に興味がない(=こっちは悪くない) というのを分かってほしかったな。( ← イヤ、だからそれがもっとも許せないことなんだろうが、相手にとって)

 

 

こまかく言えばきりがない。そりゃ齟齬が生まれるわ。むしろ齟齬しか生まれてなかったかもね。高校をボロボロになって一応卒業して家にいることが多くなった。その頃に 岸田秀氏の『ものぐさ精神分析』(シリーズ)を熟読した。この読書体験でずいぶん救われた。かなり苦悩から解放された。すべては、幻想もしくは思い込みにすぎないって考え方ですけどもね。(ただその後、別の悩みが生じる。でもそれは割愛)

 

 

 

 

 

よく生きてきたなぁ、と思う。

今までよくがんばってきた。

 

 

 

まぁ、闇落ちしたような時期とか状態もけっこうあったが、多少はそんな自分をより許容できるようになった気がする。

 

 

 

これからも、アスペビトさんのエックス(ツイッター)からの投稿でいろいろと学ばせていただきたいと思っている。今回とりあげさせてもらったのは、たくさんある情報の極々一部にすぎない。(いつもありがとうございます。<(_ _)>)

 

 

 

最高の 発達障害啓発王ではなかろうか。(^_^)

今後ともこちらの拙ブログで 取り上げさせてもらおうと思う。

 

 

 

 

アスペビトさんは、noteの方もやっていらっしゃるそうで、そちらはまだぼくは読ませてもらっていない。 (「いや、みろよ」って話ですな)

 

☆ アスペビトさんのno+eはコチラ ➡ アスペビト|note

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わります。

今後とも、ASDですが何卒よろしくお願いします。