このところネットに逃げ込んでいる。



覆面討論会的なコミュニケーションが愉しいということもあるが、健康の面でも まずいかもしれない。そして、ピグとブログをぼくの中では、完全にセパレートしている部分があるんだけど、なんだか検索かけてブログを見にきてくれちゃったりする方もいて、正直困ってしまった。(笑) もちろん自業自得なんだけど。



それで、今回は思いつきをつらつら述べていこうと思う。(いつもかな?)脈絡はたぶんあまりない感じになると思う。(manaさんのブログにあったように「起承転結の感覚が消失してしまった感じ」なのだ、ぼくも)



では行きます。

まず、はっきりいって、昨年の3・11以降大手メディアの報道が、基本的に信用に足るものではないということが、はっきりと露呈されたのである。命に関わる緊急性の高い情報が、きちんと伝わらないというのは、まったく社会的な役割を果たしていないといっても過言ではないだろう。



「多少は事実を伝えているはず(たとえば津波の映像)」とか、「全否定は極端すぎる」という考えもあると思うが、原発の本当の状態だとかもっとも肝心な部分には、シークレットにして誤魔化そうとするやり方をとることは、(「そうすることになっている」ことが)はっきりしてしまった。



そもそも大手メディア自体が、その意識が原発マネーで汚染されているようなものだろう。



東電や政府だけではなく、大手メディアや学会までもが、「原発の存続」を前提にした世界観を構築しようとしてきたのだ。そしてそれが、今も続いてしまっているという現状があるかと思う。(直ちに、泊原発3号機は稼動を停止すべきだ。最大限に安全であることを前提にした原発が、これほどの甚大な被害を及ぼしたわけだから、「安全性をより高めればいい」という方針自体がナンセンスなのだ。そして現在は非常に地震が多く、大きな地殻変動の起こる可能性が今まで以上に高まっているではないか。その危険性を考慮すれば、原発があまりにも高いリスクを背負っていると判断せざるを得ないだろう。頼みますよ、高橋はるみ知事!!)




・・・まぁ、もっとかなり前から、そういう「狂気」が巣くっていたんだけれどもね。それが最近になって、ようやくはっきりしたという段階に来たと捕らえるのが筋だろう。



次に、

少し、今の話からそれるかもしれない。(少しじゃないかも・・笑)

ぼくの「学校」についての思いね。まぁ、「母校」なんて言葉もあるけど、ぼくにとっては、母校なんて言葉がしっくりくる場所なんてない。ざっくりいってしまえば、学校は工場みたいなもんだ。少なくともぼくらの頃はそうだった。田舎の中学校で、けっこう優等生的な存在だったこともあった、そして自惚れていい気になっていたこともあった。でも高校入ってからは、まったくでもないが、かなり成績が下がってしまった。やる気がなくなったこともあるが、ノイローゼ気味になり、頑張ってもものを覚えられなくなってしまった。



つらかったなぁ・・・。



なにも楽しいことがなかった。ただ、こなしてこいと言われた課題をするために登校していただけだった。で、ついには重度の神経症になってしまった。



唯一の大きな収穫としては、「自分のしたことは自分に返ってくる」ということが認識できたことだ。これを知ったことでがんじがらめになってしまった部分もあるけれど・・・。周りの人たちが、小学生や中学生のころの自分みたいのが多くて嫌気がさしていた。(でもこれは正確には後で気付いたことだけど)



システムとして、「試験で高い得点を取ったものが価値のある人間」だとか、「教科書に載っていることが正しいことである」と錯覚させられる仕組みが内臓されてるんだよね。これだけの説明で納得できる人は、立派なアウトサイダーくらいかもしれないけどね。



本来は、本質的なことを学習しないといけないんだよね。それなのに関係のないことを、つまりは「筆記試験の得点」やら「内申書」のために、がんばって覚えないといけないわけだ。高速にインプットとアウトプットができるマシンとしての性能を高めるように訓練させられてるわけよ。

(より正確にいえば、処理が早くなること自体はいいんだけど、予め決められた「処理の仕方」を、その処理の仕方自体が適切か否かを考える余裕も与えられずに、体得しないと憂き目に遭うような強制力のはたらいている環境に放りこまれているということだ)



きっちり説明しようとすると表現がくどくなるなぁ(笑)。

あいすみません。



ぼくは優等生タイプだったんで、心地よい幻想に浸っていたので、二十歳くらいになてから、はっきりそのあたりに気付いたのかな。テストの点のいい人って気付いてないんだよ、そこんとこ。無意識のレベルで、教える側(システムの管理人たち)と共振しているから。そうじゃないと多くを吸収できないしね。疑念を強く持ってしまうと、その時点で高い点とか内申点をとりにくくなってしまうから。優等生って、催眠状態にかかっているから、本当の意味で自分が何をしているのか分かってないんだよ。


かつての自分を振り返って、そう思う。



ついでにいうと、不良は不良で、自制心が効いてないということでは、自分が見えてないわけだ。優等生とはちがう意味で分かっていない。



親に逆らいたいけど逆らえない人が不良に憧れたりしちゃうんだろうね。でも、不良も優等生もコインの表裏なんだよね。「はじめに学校(という工場)ありき」で、成立する存在だから。



ちょっと極端すぎることをいっているように思えるかもしれないけれど、「主体化することは従属することである」っていう、たしかフーコーがいっていた言葉の意味をじっくり考えてほしい。



おわりに・・・

・・・やっぱり、へんな脈絡のない内容になってしまった。(笑;)表現力が乏しいという以上に、まだまだ心にブロックがかかっていて、いいたことが言えない(ないしは「見えてこない」)みたいだ。



でも、とりあえず、方向性を示すことはできてはいないけど、心の便秘を解消するようなものを表出できたんで、よしとさせてもらいます。





読んでいただいてありがとうございました。