(遠軽道の駅のスキー場である。特殊な樹脂を使い、水を撒いてゲレンデにしている。夏の間ずっと続けるという。ジップラインといい、遠軽の人は頑張っているなあ、と思った。)


朝 札幌を出発して カミさんの待つ川湯へ向かおうとしたら、突然 カミさんから電話がきた。


昔、ボクの経営する会社に 幹部社員として入社していたA君の奥さんが亡くなった、というのである。

まだ 70代の前半のはずである。

カミさんは 今日の通夜に出席するというが、自分は時間的に無理である。

よろしく伝えてくれ、と言っておいた。


A君の奥さんとは そんなに付き合いは無いが、いくつかのエピソードがある。


A君は仕事も良くできたが、豪放磊落な性格で、酒にも強かった。

ある時 全社員の ご夫婦もよんで、 夜 川湯観光ホテルで 会社の懇親会をひらいた。

昔は 年に一、二度そんな事をしていたものだ。


席上、A君は おおいに飲み、歌い、そして懇親会半ばで 横になって大いびきをかいて 寝てしまった。

時間がきて おひらきとなったが、A君は 一向に目が醒めなかった。

A君の奥さんは、涙目でボクに謝った。

社長、申し訳ありせん。


いいんですよ、

日頃の疲れを こういう場で発散するんです、

好きなだけ 寝かせてあげましょう。

と A君と奥さんだけ残して、他の社員夫婦は退散した。


翌日 赤い顔をしたA君が出社した。

いやあ、昨日は 大変失礼しました。

朝 出掛けに、ウチのやつに散々怒られましてね、

全く恥ずかしいです。

と、あの豪快なA君が 1日 小さくなってしょげていたのである。

よほど奥さんに叱られたんだろう。


ある時、A君が、

社長、相談があるんですが、

と言ってきた。

近所に A君のご両親が住んでいるが、時々 A君夫婦と4人だったかな、子供たちが、ご両親のところへ行き、食事をご相伴していたらしい。


そんな頃、子供の誰かが、食事中だかに、

明日 おばあちゃんちに行こう、

おばあちゃんのご飯 おいしいから、

と 奥さんの前で つい言ってしまった。


そのあと 奥さんは、亭主と子供たちの食事を 一切作らなくなった。


もう 何日も、だと言う。

困り切ったA君が、どうしていいか分からず、ボクに話した という訳である。


うん、この場合はね、

と言った。

A君と子供たち全員が、奥さんの前で、手をついて、膝をついて謝るしかない、と思うよ、


お母さん、ごめんなさい、

どうか 食事を作って下さい、

とね。

奥さんも 振り上げたこぶしを 何処かで下ろしたい、と思っている筈だから、きっとそれで許してくれると思うな。


その後の話は聞かないが、多分うまくいったのだろう。

日本の女性は、男性に虐げられている、などという女性学者だか、外国人が言うことがあるが、実情を知らないとんでもない話である。

日本の奥さんは 家計の財布の紐をにぎり、ために事実上の全権をにぎり、世の男たちは、奥さんにおだてられて 大汗をかいて金を稼ぐのである。

表面づらは偉そうにしているが、その実 奥さんにはアタマが上がらない。

それが 昭和の男というものである。


作家の野坂昭如が、女というものは バカで下品でどうしょうもないシロモノである、と 何があったか、エッセイに書いた。

これを読んだ 野坂の奥さんが、

あなた、ワタシのことを そんな風に思っていたわけ?

と詰問した。


すると、野坂は、慌てて、

と、と、と、とんでもありません。

貴女さまは女神様です。

わたくしなんぞの 到底およぶところではありません、

と平身低頭した、と、これもまた別なエッセイで書いていたらしい。


A君の奥さんもまた日本の 昭和の女性である。

亭主を上手く操り、四人の子供を 立派に育てあげた。


突然の奥さんの喪失に、A君は耐えられるのだろうか。

A君が心配である。

辛いだろうなあ。

なんとか奥さんの分まで 元気で長生きして欲しいが。