言葉たらずだったかもしれないが、妹の担任の先生が完璧な先生というワケではない。

扱いづらい子の定義は、たまたまで、その言葉の前後にいろいろ話をしてるので、そこだけピックアップすると偏見があるように感じられる。

扱いづらいと言えば、ユウも同じだ。
妹の担任のことはユウも知っている。
ユウが6年のとき、となりのクラスの担任だったという。
そしてユウはいう。
「○○先生は自分のクラスの生徒はかわいがるけど、ほかのクラスの生徒には冷たいんだよ」
いろいろな印象があるものだ。

ただ、妹の担任の先生は生徒を良く見ている。
そして、なんらかのトラブルがあったとき、それから逃げずに対処し、良い方向に向けることができる。

それだけでも、親からみれば信頼できる先生ということになる。

私が接したユウの学校の先生たちは、みな生徒の方向を向いていないような印象をうけた。
逃げているようだった、トラブルにはかかわりたくないといったていだった。

ユウが精神的に不安定になったとき、先生は「スクールカウンセラーのところに行ってください」と言った。
そしてカウンセラーの先生から報告はうけたりしているようだったが、あまり積極的に話し合ってくれているような感じはしなかった。

どうも・・・避けられているような気がしてならなかった。

ユウにも多分に原因があることなど、承知している。
生徒がユウだけでないので、ユウにそんなに時間をさいてもらえないのもわかる。

でも
カナダの後見人
妹の担任
そういう人たちからは、私の娘たちだけでなく、ほかの生徒さんたちへの思いが伝わってくる。
「アツイ」のだ。

人としての「アツサ」を感じる人がたくさんいれば、ユウも変わってくれるだろうと思うのだ。

ユウにも人に「アツイ」人になってもらいたいと思うのだ。