私の母は、子宮体癌でなくなりました。
母は、不正出血が半年続いていました。
更年期も迎えていたので、たまに来る生理かなと。
しかし、出血は半年以上続き、母は不安にさいなまれていきました。
父に病院にいってみろよと何度もいわれたこともあり、重い腰を上げていくこととなりました。
町の小さい婦人科で、検査をして帰宅しようとしていたら、看護婦さんが走って飛んで来て、すぐ大きい病院にいったくださいといわれたそうです。
母は、しばらくして紹介状を片手に、大きい病院にいきました。
検査結果は
子宮体癌。
見立てでは1B期。
手術は3ヶ月後という結果でした。
たくさんの検査をし、手術当日、母は、
いってくるね
と笑顔で、私と握手をして、歩いて手術室にいきました。
2時間といわれていた手術は4時間たってもおわりませんでした。
後に先生の説明があり、開腹したら、3cで、限りなく末期に近いと報告をうけました。
先生は私達になんの資料もなく、淡々と説明をして、結果を説明しました。
隣の先生は紙に何かをかいていて、顔を上げることも一度もありませんでした。
説明が一方的に終わり、質問はありますか?
と先生はおっしゃいました。
結果に衝撃を受けていた私と父は、子宮体癌のことすらもわからなく、なにも質問することすらできませんでした。
ただ唯一父が質問したことは、母はあとどのくらいいきられますか?
でした。
先生は、顔色も変えることもなく、淡々とそれはわかりませんと。
そして、これから抗ガン剤をするので、そこからになりますのでだれもわかりません。
とのことでした。
不安で感情をうしなった私達と、日々の目の前の病人に感情を失った先生との話しは、本当にあっという間におわりました。
私はおもいました。先生たちには、死に直面する家族のことなど、考えている暇がないのだなと。
これは仕方ないのだなと思いました。
これが現実なんだと。
説明がおわり、目が覚めるということで、病室に入って、母と目があったら、母は笑っていました。
父は手を握りながら泣いていました。
母は治ったとおもったのです。
そして、後に先生は母につげたのです。
先生は、本人に全てを淡々と話したのです。
一緒にいるときに、なぜ話すのかと聞いたら、先生は、現実をうけとめて、本人が戦わないといけないから話すのですと。
目も見ない先生が??
突然?
母は知りたくなかったといいました。
そして母は、その日から笑顔を失っていきました。
家族も不安で笑顔をうしないました。
でもいまは天国で痛みも苦しみもなく笑っているかな
この続きはまた私の感情がおさまったときに書きます。
思い出すだけで涙がとまりません。
まおちゃん。
つらいね。
マオちゃんの家族、つらいね。。。