母との最後の思い出が、まおちゃんみるとよみがえります。
母は、限界までお家にいました。
緩和ケアの場所も決まっていました。
限界が来たらいつでも来てくださいねと言われていました。
母の限界を、母が自分で決めたのは、階段から落ちた時でした。
母は、そのとき、腹水がたまり、脚がパンパンに浮腫み、ついに母は、杖をつくようになっていたころでした。
数日前、私は桜の花が描かれている杖を、母いました。
歩くのがやっとになった母は、とっても喜んでくれました。
これで少し歩けると。
そして母はすぐ使ってくれました。
数日後、母の顔をみに帰宅したわたしは、母に料理をつくりました。ほとんど食べられない母は苦悩していて、父では作れなくてしました。
ごはんをつくり、母を連れ呼んだ時、母は階段からおちたのです。
頭を深くきり、救急車で搬送。
ひらいた傷口を病院で縫ってもらい、母は帰宅しました。母は病院でも謝ってばかりいました。そして、情けないとずっと口にしていました。
抜糸の日、病院の待合室で、母はもう自分の限界だと自ら電話をしました。
数日後、入院の手続きができ、母は最後を見据えていました。支度をし、店を見回し、これで最後だなと家を見上げ、父の車にのりました。
病院につき、母はすぐに腹水をぬいてもらい、ベットも決まりました。
病室に入ってから、トイレに自分で行くと、歩いて頑張りました。洗濯も回す場所、お風呂など病院を杖をついて、いっしょに見て回りました。
私は、散歩をかねて、車椅子に母を無理やり乗せ、病院の外の庭も散歩しました。
とても狭い庭でしたが、外は気持ちいい。すごく気持ちいなと母は見上げてとても喜び、沢山お話をしました。
そして、病院に来る人をみて、私は幸せなんだといっていました。
でも、本当は、母はとても苦労した人生を送って来ていたのです
三代続く洋品店。
母はいつも苦悩を私に話しいて、わたしが結婚するまで、母とはとても寄り添って生きてきました。兄はいたけど、いないけど。。。
この先はまた後で書きます。
どうか、癌が治せる日がきますように。