私が今でも自分に厳しく人に優しく生きる事、人の気持ちに寄り添える人になりたいという気持ちをチモという一匹のワンコから得られた事は宝物として墓まで持っていくつもりです🙇
チモとの日々エッセイはこれで終わりますがまた思い出したい時に引き出しから載せようと思います🙇拙いエッセイを読んで頂きありがとうございました😉

出棺、別れ、出会い、、、
出棺の時が来た。
その時オレはもう泣いていなかったというより泣けなかったと言ったほうが正しかったかもしれない。
人間悲しすぎると涙も出ないのだとこの時煙突から出る
チモの煙を見上げながらボソボソ小雨の降る中でいつまでも何も考えられず立ち尽くしていた。
自分の教えていた飼い主さんの中にもペットロス症候群に
なってしまった人も何人か知っているがオレがそんなものにと思えば思うほど深みにはまりこんでいってしまったみたいだった。
では、どのようにしてこの胸にポッカリ空いてしまった穴を埋めていったかという事をお話ししますね。
これは世のペットロスになっている人達にも少しは参考に
なるのではないかと思いますが自分の場合もやっぱり最初の1年間は何をやっても何を見ても、
「ああ、ここもチモときたっけなあ、あん時はオモロカったなあ」と、
常にチモを重ね合わせてしまい楽しいはずの思い出まで悲しい方向へ向いてしまうのでしたが。

自分の場合はチモと行ってその時撮った写真をスライドショーにして音楽入れたり、文字を合成してみたりしてDVDなどを作って気を紛らわせてました。
その時の俺にはそんな事しか出来なかったような気がする。
何も考えずただ黙々とチモとの楽しかった思い出を思い出しDVD編集に明け暮れた毎日だった。
そこには楽しかった色々な場面での事や笑ったり泣いたり喧嘩した事などが一杯詰まっていた。
でも悲しみの鎖は永遠に切れる事なく一生続いて行くのではないかと考えていた時ふと我にかえり、、
「オレは何でこんな悲しんでんだろう?
もしかしたら悲しむ自分を見て悲しんでるだけかもしれない。
チモはそんな事望んでないはずだ」
「奴の前ではオレはいつも強くて頼りになるボスだったはずである。
弱って嘆き悲しむオレを見てチモが喜ぶはずはない」と。
そんな事を毎日考えている内にまたチモのようなロットワイラーを育てていけたらいいなあとありとあらゆる雑誌やネットを使ってロットの仔犬情報を貪るように集めて1年が過ぎた。
でも、やっぱりチモの時のように魂からビビッ!と来るようなロットワイラーにはもうお目にかかれないんだなあと思い始めていた時、
たまたま見たページに母親と仔犬が7匹写った写真が目に止まってしまった。
オレはいつも自分の直感でワンコを貰ってきたしその直感で今まで失敗した事などなかった。
その写真を穴の空く程見つめて次の瞬間はもう電話していた。
「又、ロットを飼うよ、
チモにそっくりなんだオレの直感に間違いはない」
しかし、カミさんは、
「チモはもう死んだのよ!分かってる?」とカミさん
チモは死んだ・・
わかってるよ、
そんな事はオレが一番分かってる事なんだ。
口にして出さなかったがオレは心の中で言っていた。
でも、
どうしてもこの子を貰いたかった何千何百と見てきた中
でオレの心に入ってきたこの子をと。
そして1ヶ月半のこの仔犬を迎える事になったのである。
「チモ」これが奴がこれから呼ばれていく名前である。
先代チモにしてやれなかった事や自分に幸せを一杯与えてくれた友達や世の人達のお陰で幸せになれた喜びを今度は自分が他の人達やチモの為にしてあげる事が先代チモに対する最大の追善供養になると信じて、
そしてそれが自分達家族の幸せに繋がって行く事を信じ
続けて生きていく事を決意したのだった。
本当にここにくるまで色んな人達に助けられて自分を見失わずチモが残してくれた大切な何かを知る事ができたと思います。
そんな友達の中にスピリツチュアルカウンセラーの友達からの伝言を抜粋してみました、
以下友人のメールより。
「coby さん 返信が遅くなりました。
写真から伝わるチモJr.についてのリーディング内容をメールします。
さて、
この犬との直感的な縁は、
誰が結んだか?というと、
それは亡くなったチモなんです。
cobyさんにとって心の穴を埋めるためにまたその苦しみを取り去るためにチモが遣わしたのです。
ですからけっして生まれ変わりではありません。
ただし、魂の波動は、とても似ています。
それ以上に、亡くなったチモは、自分との出会いと別れの
中でcobyさんが経験したことを今いる周りの者たちに、
実践していくことを願い、
その実践を導きだすためにJr.を遣わしたのです。
どうぞもう一度ひとつひとつチモとの生活でチモのお蔭で救われたことや助かったこと、
怒ったこと、
悲しんだこと
(哀しんだこと)、
喜んだこと楽しんだことを思い出しながら紙にまとめてください。
思い出されるだけ全てを書き出すと感謝の気持ちや感涙が起こります。
ひとつ思い出すたびにその出会いがどれほど有り難いことかこうすればよかったかなどと気持ちが顕われてきす。
その中から今実践できることをひとつずつ今生きる人や犬にチモから学んだことをもう一度チモにしてあげるのと同じ気持ちで誠心誠意してください。
そうすることで、嘆き哀しむという行為を昇華して今生きている周りの幸せになるばかりでなく、
cobyさんにとっても、さらなる経験を積む行為となると信じています。
さらにこれこそが、チモに対するcobyさんが振舞うべき、
追善供養の仕方であります。
チモに会いたいとおっしゃってましたが、魂の上では
いつでもcobyさんはチモの魂に触れています。
直感を信じてこの犬と縁が結ばれたこともお蔭様の気持ちがあればこそです。
意識していないだけです。
もっと気づきが必要です。
思いやりと感謝をこころから離さないように。
肉体的な触れ合いができないと思うかもしれませんがそれも二代目チモに触れたときに一時的に実感できたと思います。
そのときにチモは一時的にcobyさんを癒すために
二代目の体を借りていたわけです。
憑依です。
しかし、そのメッセージは、
「パパ、そうではないよ! 嘆き哀しむことは、もうおしまい。
僕との経験で学んだことをパパの人生に生かして。
みんなが仲良く幸せになるよう努力してね。」
です。
[パパが心配だから、Jrとの縁を創ったと言っています。]
以上
遊佐 拝」
以上
遊佐 拝」
今日も我が家はオヤジ、
カミさん、チー坊、ニモ、
二代目チモと共に明日の幸せに向かってドタバタを繰り返す毎日である。
リビングの棚の上とオヤジのペンダントの中には今も楽しく苦しかった時代に共に過ごしてきたチモとの日々が一杯つまってるのである。
*チモのいた季節改訂版より

