貞婦は二夫にまみえず | きつねの部屋ブログ版

貞婦は二夫にまみえず

 これは今週の『虎に翼』のサブタイトルである。意味はご存じとおもうが戦前までの考えで、女はまずは父に従い、嫁したら夫に従え、夫が亡くなったら子供に従い、再婚せず死ぬまで独身でいること、それが正しい道だ、といった道徳教育から生まれた言葉。夫が死別しようが、離婚させられようが再婚せずが妻の鑑(かがみ)であるとの男側の勝手な理屈である。

 

 そのモデルが航一の父が再婚した義理の母である*余貴美子さんの役。つまり男は再婚できても妻となるには初婚であるべきだ、という古い男性優位の倫理観、価値観が今回のテーマ、であろう。

 

 戦後の昭和30年代の日本にもこうした考え方がのこっていて、虎翼にでてきた民事裁判のように、妻が夫の言い分を聞かなければならないといった戦前の憲法にもとづく一方的な男性側の意思を押し付けるやり方は戦後の新憲法では通用しない、そのシンボル的なフレーズを今回逆手にとったのでは。

 

 で現在物語の中でも寅子と航一との結婚問題が語られている。先に書いたように航一の家族は複雑(寅子の家庭もそういえばそう)。航一も戦前は妻をもつが亡くなる。現在その子らは航一の妻が亡くなったあと義理の母が面倒をみてきて、現在は成人にたっしている。

 

 そこに航一の再婚相手として寅子が現れる。寅子もいわば未亡人で、航一も妻を亡くした身。すんなりと再婚同士が一緒になる、とはいかないのが今回のシークエンス。

 

 互いの家庭のどちらも複雑で二人の問題とだけでは語れない家の話し、戦前の道徳感、そこに現在いうジェンダー論や戦前では一般人が口にすることさえ禁じられていた同性との愛情問題、自己自認などなど諸問題が重なり合い、いままでの朝ドラとはことなる雰囲気になってきている。

 

 実際に寅子のモデルの女性裁判官の周囲に起きた問題かはおいておくが、そうだとしても朝からこのようないまだ日本でも緒に就きようやく動きだしたばかりの問題を、次から次へと見せられると、こちらは戸惑う。

 

 そしてジェンダー問題と多様性が一気に今週吹き出して、不謹慎ながら正直お腹一杯です。そこまでお話をリベラルにせんでも、と。

 

 寅子、航一どちらの姓にするかはともかく、いきなり同性愛、義理の母親と実子。裁判官としての寅子と私人の寅子が一つの画面に登場して、もうこちらがついていけないほどカオス常態になっている。

 

 確かに判決ひとつで社会は変わらないが、法曹家としての寅子には手に余る問題であろう。私人としての寅子と法曹家としての寅子が人格としてひとつなのは分かる。分かるが、ここまでやるか、という気分でわたしはいる。とにかく詰め込み過ぎ。

 

 はっきりいって応援していた寅子の人生であるが、寅子の私事をこれほどまでクローズアップする必要があったのか。あるか、それが朝ドラであるからだが。家族や知人友人が登場しなければ朝ドラにはならないか。

 

 現在再放送中の障害者とその家族を追った『家族だから愛したんじゃない、愛したのが家族だった』(既に初回放送時に視聴済みで、優れたドラマであるとの感想をもった)とは時間帯が違い、そのような話しを朝からもってこないで、と正直思いました。

 

 つまり詰め込み過ぎで消化不良になってしまいました、ということ、今週の朝ドラ『虎に翼』。

 

 それよりも原爆裁判をどう寅子が判断するのか、を視たい。

 

*余貴美子さん、12時30分の『ちゅらさん』のあとその日の『虎に翼』両方ともに再放送で出演連続している。あまりにも異なる役柄で、さすが俳優(女優さんといいたいが、これまたジェンダーとの兼ね合いでいえない)さんだ。