漫画の進化 | きつねの部屋ブログ版

漫画の進化

 最近のコミックはスマホで観ることが当たり前になってきた、とテレビで紹介されてた。小回りはスマホに合わせ縦割りのみらしい。小生は少年雑誌が生まれた頃に小学生になった。

 

 当初は月刊誌で、だいたい床屋の待合ベンチなどに置いてあって自分の順番がくるまで漫画や冒険小説を読んで育った。

 

 が小学生の高学年に入った頃、月刊誌ではなく漫画中心に編集された週刊誌が生まれた。そこで初めて手塚治虫を知り、今までのコマ割りを破り、大きかったり変形であったり、時にはコマを突き抜けてしまうといった躍動感あふれるコマの使い方に驚いた。

 

 漫画といえば新聞の4コマ漫画が最初の経験。普通の生活の中にあるちょっとしたオモシロイできごとを描いたもので、大人が見るものであった。朝日新聞に掲載されてい「サザエさん」などがその典型。現在の「コボちゃん」もその流れを受けている。

 

 ところが手塚漫画は1話では終わらず、続きもの。週刊誌だから次号も購入して欲しいという出版社では読み切りよりも続編ものを欲していて、それに合致したのが手塚漫画で彼が漫画の神様、といわれる所以である。

 

 こうした手法はたちまち他の作家も真似するようになる。また手塚漫画はスター方式といって、登場人物はかわらないのに漫画により役柄を変える。

 

 ロックという少年は顔立ちが同じなのだが、正義の味方になったり悪役になったりする。またヒゲ親父が様々な役柄ででてきたりするのも手塚ファンにとってはまた逢えた、という感じで親しみがもてた。

 

 とはいえヒゲ親父は悪を演じることはなかったような気がする。キャラクターは替えず、主人公のサポート役というのが彼の役柄。手塚漫画ではいろんなタイトルで登場する。 

 

 それから劇画という漫画というよりもっとリアルな描写のものがでてき、また80年代には大人の漫画も登場。サラリーマンが主人公の漫画などが隆盛となる。

 

 それが漫画がコミックと呼ばれる辺り、ということでわたしが80年代の始めの頃に大人漫画雑誌漫画と出会い、そしてそれが雑誌漫画との付き合いの最後であった。

 

  テレビアニメが全盛となるころは、次第に漫画は映像媒体に原作を提供するツールとなっていく。で、パソコンによるゲームの隆盛から、ディバイスがケイタイからスマホに変わる時にネットに移る。そして今は視聴者はネット空間の中でアバターとなりネット視聴者自ら「アニメ」の主人公となっていった。