オーバーツーリズム | きつねの部屋ブログ版

オーバーツーリズム

 先日の富士山とコンビニが合体した景色が面白いと外国人たちが道を挟んで写真撮影をし、中には道路に飛び出すといったことがあって、事故の危険やそこに住んでいる住民たちが迷惑をしていて、ついにコンビニ屋上の富士山を見せない黒幕を張った、ということがあった。

 

 この措置、センス的にいえば最悪、ではあるがしかたないことではあるのだろう。確かにわたしもここにも書かせてもらった久しぶりの山登りで富士五湖へいき、ツーリズモの波を感じた。

 

 外国人観光客を招致することは日本の悲願、といっていいほどで20年以前から政府の政策としていて、ようやく実ったということになる。

 

 とはいえ、もともとキャパが少ない日本の観光施設にこれほどの人達を受け入れる余地はなかった、とは今の反省であろう。コロナ前は成長著しい中国人観光客が日本の製品買い

 

 が、それも銀座の中央通りに観光バスが連なり銀座の風情が壊された、と私個人はおもっていた。買い物を受け付けるデパート、量販店などでは喜んだだろうが、傍目には迷惑だなと思いみていた。

 

 そしてコロナ。ピタッと外国人観光客は減り、というか来なくなりそれはそれでわたし個人的には静かになって、というかコロナに感染しないこと一番で、商店はうれしくなかろうが個人的には静かになり歓迎していた。

 

 で、コロナ明けから、金利差で日本の円が安くなって中国人の団体に代わって欧米人が増え、来るようになり、以前は秋葉原などサブカルチャー目的の観光客であったのが、広範な日本の文化、自然を目当てに来てくれるようになる。

 

 それは大変好ましい形になった、であるがやはり日本は狭い。受け入れる宿泊施設はともかく、観光地といえる場所は日本人観光客より外国人が増え、といっても比率的にはそれほどではないにしろ、目立つ。

 

 日本のマナーやルールを知らない人達が上にかいたような日本人がしない行動をとる。観光公害といえるのではないか。

 

 陰気な観光客というのはいないだろうが、日本人は外国へいっても欧米人のようにははしゃがない。彼らは喜びを体で表現するが、日本人は感激してもオーバーな喜び方はあまりしない。

 

 鉄道の始発駅から発車したばかりのまだ空の電車で両腕を逆ハの字にして両側の吊り輪を握りぶら下がり写真を撮る、なんて行為は日本人にはできないが、悔しいことにわたしなら足が床にとどかないが、彼らは充分そのような格好をしてもひろげた足がとどく。

 

 とにかく日本はこれほどの文化の異なる大勢の外国人たちを受け入れるようにはなっていないし、今オーバーツーリズムが叫ばれ始めているが、こうなるであろうことを予測しなかった日本の政策も問題かも。

 

 しかし、こちらもこうした外国人たちに慣れる必要もあるのか、とも思うが、どうか。