国体 | きつねの部屋ブログ版

国体

 国体、といっても国民体育大会(現・国民スポーツ大会・2024年改称)のことではない。戦前の日本はこの国体によって動いていた、というか動かされていた。

 

 ご存じの通り戦前の日本の憲法は「大日本帝国憲法」と呼ばれ、万世一系の天皇の元、臣民が一丸となって行動することを求められていた。軍人には軍人勅諭が、国民には教育勅語があって、日本人はどう行動するかが規定された。

 

 臣民は西洋でいう市民ではなく、天皇の元にいる臣下、という意味である。直接的には間に内閣、それに軍という二本柱があって、思想的に臣民としての行動をとることを求められた。

 

 といって天皇があれこれはいわない雲の上の人であって、実際に直接命をだすのは内閣と不随する文部省など学校である、そして内務省に属する警察など。

 

 国体とは万世一系の天皇の基、臣民は行動することを求められる。国民は教育勅語に沿い、軍人は軍人勅諭に沿い行動しなければならない。

 

 中身は忠と孝である。天皇は天皇の祖先であるアマテラス大御神、そしてその子孫の神宮天皇の直系とされ、大御心をもっておられる、とされ日本を統治する人神とされた。家庭では父に母に孝をし、国には忠が求められる。天皇を頂点とする家父長制が国体の神髄。

 

 で、臣民であるわれわれ国民は天皇を敬い、父をトップとする家族を構成し、兄妹も男子のほうが女子より上位に置かれる。また年上には従うとされた。

 

 不敬罪というのもあった。軽々しく天皇を批判すると刑罰に処せられる。『虎に翼』において女性弁護士が社会的に認知されずらいのも男性社会であったからで、それも国体の中に組み込まれていた家父長制からきている。

 

 半藤一利氏原作の著書を映画化した『日本の一番長い日』は、アメリカから降伏文書が届き、陸軍の青年将校たちがそれに反対、天皇の終戦宣言放送を遮り、国体護持のためクーデターを起こそうと画策する話だ。

 

 明治の憲法発布以来国体は天皇の位置を明文化し、国の下層からおきる反乱で中国の政体が変わる易姓革命や、民主主義、もちろん共産主義など個人の意思で政府が変えられるという思想は戦前までの日本には無く、というか知識人以外にはあることは知らされず、天皇を祀るわが国こそ世界に誇れると、自負していた。

 

 自由主義、共産主義が弾圧されたのは国体護持のためだった。室町幕府を作った足利尊氏は当代の後醍醐天皇を京から追い出したとして戦前には悪人の代表となり、後醍醐天皇側についた武将楠正成は懸賞され、南朝正当説が流布される。それも国体の中に取り込まれた。

 

 その芯にあったのが国体である。

 

 そしてその始めは徳川幕府との対立軸を、中世、江戸時代では忘れられていた天皇を最高権力者とした尊王思想からだった。

 

 ところがアメリカ軍に敗け、国体はなくなる。で、いきなり民主主義を取り入れ現在に至る。国体、国体といっていた大人たちの身代わりの速さに軍国少年たちは不信を覚えたとある。

 

 わたしの祖父祖母、父、母の時代はそんな時代だった。戦後生まれのわたしはそんなことを知らずに育ち、ただ昭和生まれではあるので戦前の話しは映画にしろ、書籍にしろ豊富にこれらの話しがテーマとされたことは覚えている。

 

 ということで戦中のことを描くドラマ、映画の裏には国体があった、ということを覚えておいてほしい。