沖縄ドラマの違い鮮明 | きつねの部屋ブログ版

沖縄ドラマの違い鮮明

 先にも書いたが、現在お昼NHKで朝ドラ『ちゅらさん』(以下美ら)の何回目かの再放送を行っている。

 

 これをみるとつくづく同じ沖縄を舞台とした『ちむどんどん』(以下いかチム)と比べ如何にすぐれた作品であったかと再認識している。

 

 美らの舞台は沖縄の孤島小浜島。チムは本島のヤンバルという違いがあるが、内容がとても似通っていた。

 

 美らは島に一軒ある民宿古波蔵荘へ男の子二人と母親がやって来て、上の子和也が不治の病で病院の屋上で舞い降りてきた「古波蔵荘」のチラシを見て運命を感じ両親に嘆願、最後をこの島で過したいと願い、エリーの親夫婦とおばぁ、弟の恵達の下に母と弟の文也と共にやってくる。

 

 チムではやはり中学生の男の子和彦が東京からきて主人公の暢子と仲良くなる。

 

 その間同じ島で小学校へ通う文也とエリー。互いに淡い恋心をいだき兄の和也はそれをみて、「おまえたち、おおきくなったら結婚しろよ、約束だよ」と二人にいい、二人とも子供ながら了承、そして兄は島で寿命が尽きる。

 

 遺骨は迎えに来た父と一緒に東京へと船に乗り島を離れる。エリーは堤防を走り船を追いかけ、「結婚しようね、文也君、結婚しようね」といい手を振り、船の文也も「エリー」と大きく手を振って別れた。

 

 エリーはおばぁに聞く「人間はなぜ死ぬのか」と、おばぁは命こそ宝(ヌチドウタカラ)という沖縄の言い伝えをエリーにいい、人間だれしもが死ぬ、でも精一杯生きなければならないと諭す。沖縄戦で大勢の犠牲者をだしたことを知っているおばぁならではの深い心が、エリーの胸にのこる。

 

 それに比べるとチムの暢子は料理人になるという普通の願いをかなえるために無謀にも知り合いの居ない東京へでてウロチョロしていたら”偶然”に沖縄県人会の会長とであい、まずは沖縄料理店を紹介され(これが美らと同じ沖縄出身の俳優が経営している設定・彼は沖縄の俳優で美らの時も今回も沖縄言葉の教授をしている)、で東京は銀座の一流洋食レストランに勤めるもなぜか料理とは直接は関係ないがオーナーから人として鍛えられ、あっちへいったり、こっちへいったり、一向に料理の修行ができず、やっと料理センスが認められ他人を伍して一人前になるといった、なんともご都合主義的な内容になってしまう。

 

 美らの方は、エリーは高校を卒業、しかし進路はきまっていない。が急に親友が東京の大学を受けるというと、東京という文字がエリーの頭に浮かぶと、将来の事を考えていなかった彼女は、もしかしたら文也に逢えるのかと、懸命に受験勉強を始め両親の反対や説得もふりきり、東京へ受験に行くも不合格。

 

 しかし、どうしても東京という地に出たい家族全員が反対するのを後目に「家出」(家族は反対したものの、エリーを信じて陰ではゆるしていた)を敢行、沖縄で知り合った東京のキャリアウーマンを頼りに上京し、一風荘という変わった住民たちが住むアパートに住まう。

 

 そして彼女がたどり着いた仕事は人の命を救う看護師(このころは看護婦といっていた)になり、医者となっていた文也と再会、いろいろあって互いに子供の頃の約束通りに結婚し、まわりまわって小浜島の診療所に勤めることになった。

 

 問題はこの二つの物語に登場する兄の存在。美らのほうは母の連れ子が長兄(ゴリ)で、要は風来坊。が家族全員に好かれる性格で、なんとか家のためにいいことをしようとするのだが、失敗。でも愛されキャラ。

 

 ゴーヤーマンという沖縄土産を制作したが、いっこうに売れず家族はそのために借金を負うが笑ってしょうがないな、と彼が家族から愛されていることを示すエピソードになっている。ただ迷惑をかけたのはドラマ上ではこの1回だけでそれもあってエリーが東京へ行くきっかけにもなる。

 

 料理人を目指す暢子の兄もテーゲー(いい加減な性格)で家のために、妹のため、カネを稼ごうと東京に出てきたはいいが、何度も人に騙され続けても懲りず、そのたびに借金を作り、妹始め実家や周りの人に迷惑をかける。

 

 まったく懲りない性格で、妹の足を引っ張る存在でしかない。これを毎週やられたらそれは観る気もしなくなる。肝心の主人公の料理も話だけではどれほどの腕なのかは客観的に伝わってこず、一応一人前になったらしく島に帰りその沖縄では西洋料理ではなく沖縄料理の道の第一人者となり、子や孫や、ひ孫たちと記念写真をとり終わる。

 

 こう比べると美らは命をテーマに幼馴染が兄和也の死により、結果医療の道を選び島に帰ってくるのと、西洋料理を習って、沖縄料理の良さがわかった主人公が成功したとして島に戻るチムと比べると内容が薄く、笑えるシーンも感動できるシーンもなかった。ちなみにエリーと文也の男の子の名は文也の兄の名、和也である。

 

 料理は確かにうまいものは喜びになる。が、一過性のもの。しかし人の命はそれを超えて普遍性があり、幼馴染の恋が成就する展開も両作品は似ているが、まっすぐなエリーとあれこれと迷う、というか脚本に翻弄される暢子とでは人の心に伝わるものが違いすぎた。

 

 結果、役者の演技云々より脚本の出来不出来が作品を決めたといえる。岡田恵和さんと初めて出会った作品は『ちゅらさん』でした。