木村拓哉「Belive」
ああまた木村拓哉主演のドラマか、と最初から観る気はなかった。しかしあのジャニー喜多川少年虐待事件の後、彼がジャニーズ系事務所に残り最初のドラマであるので、多分毎度の演技だろうとはおもったが、とりあえず初回を観てみた。
やはりというか、この人普通のサラリーマン役は無理とわかっていたが、やはりそう。
いつもだったら一見そうみえないが人一倍「優れた」人物を演ずる。がしかし一介のサラリーマン役になってもその癖が抜けず、押さえてはいるもののオレ様的な演技が鼻につく。そんなに特別な役者なのか。
お話は裁判所の判決のシーンから始まる。被告席に立つキムタク。彼はゼネコンで土木設計の責任者として橋を設計し、しかしその橋は工事完了寸前、というところで上部アーチから橋梁部に渡したワイヤーが次々と切れ、橋は崩壊してしまった。
この橋、設計の途中でそのワイヤーを取り付けるというアイディアをだしたのが設計部長のキムタク。もちろん構造計算はクリアしている。なぜ橋のワイヤーが切れたのかは一次下請け会社の材料発注でワイヤー材の質をおとし、その差額で自社の負債返済に当てていたから、と分かった。
しかしゼネコンでは事実がそうだとしてもそれを公にすれば監督不行き届きと判断され、親会社としての責任が問われ、これからの公共工事の受注に響く。
そこで社長の提案で設計ミスということで木村がその罪を一人負うことになる。その代わり事故の責任者が罪を問われても執行猶予となることが多く、そうしてから1年の休養をし、ほとぼりが冷めたら会社に復帰させるといわれた。
キムタク自身も設計の責任者の立場からそれを承諾、先ほどの下請けが海外の工場に発注したワイヤーの発注書を、保存していたパソコンから消去してしまうという愚かな行為した結果、執行猶予無しの1年半の実刑に処された。
が会社は事故は彼の責任ということでこの件は片付けてしまい、キムタクは刑務所の中でも同房のものから嫌がらせを受ける身となる。と書くと随分と健気な役柄だとおもうだろうが、さすがキムタクそれでも動じない。
同房の嫌がらせを腕力で防ぎ、むしろ刑務所内の建築模型の作業などはお手の物で他の受刑者から見学を希望されるほどだ。自分のしたことが免責されるとおもっているお子様で、形式的には設計の責任者であるから、とはおもっているだろうが、本当の意味での社会的な責任は感じていないようす。
税金で作られる公共の橋が崩壊というのは社会的に視てもこれは大きな「事件」である。自分の責任ではない、といいきり、生き残りを図る、そんな人間が主人公。彼の責任感は自分のためのもの、反省は特にない。
しかし、刑務所での接見の際に最近うまくいっていない仲である妻の天海祐希が癌にかかり離婚を申しでられ、またどうやら会社は自分を悪者にして済まそうとしていることを云われ、自分のプライドのために脱走まで考えるようになる。そして刑務官に睨まれる存在となった。
というところまで観た。キムタクのリベンジがどうやら本ドラマのテーマらしい。また、刑務主任役の上川隆也とのバトルも見どころとなる。
彼がセリフを言うと、なぜか嘘っぽく聞こえる。周りが彼を押し立てているので今までの「破天荒」な主人公ができた。しかし「VIVANT]でもない普通のサラリーマンがヒーローになるわけはないのに、そう見えてしまうのがいつものキムタクドラマ。まわりがヨイショで成り立つのが悲しい。
また毎度の自信なげで困ったような表情と、強気の動きとの整合性がとれないのもおなじみだ。本当に演技の幅が狭い。今期「日曜劇場」の長谷川博己の悪とも正義ともつかないあの弁護士役を視て勉強しろ、といいたい。
これは演出なのだろうが、彼が工事を中断して動かない下請けの職人詰所へ来る。職人たちは工事現場ではないからヘルメットは被っていない。しかし本社から仕事の督促にきた彼の部下は当然ヘルメットを被ってくるのだが、その前を歩くキムタクだけヘルメットは頭に乗せただけで顎紐を締めず、これは安全第一の工事現場で模範とならなければならない元請けの責任者では考えられないだらし無い行動。それがカッコいいとおもっているのか。
またその場で親方(北王子欣也)と腕相撲して勝ち、工事継続を約束させるなど、人間的な心の通じ合いで状況を変えるといった、キムタクをヒーロー扱いするありがちな脚本演出もいただけない。
自分は特別、ということを云いたいのかもしれないが、公共事業で受けた仕事の監督を経験したわたしとしてはそうした行為は絶対に許されないし、ありえなことであり、ドラマとはいえ自分だけが特別感をだし、ヒーローっぽいことをあらわそうとしているように見えた。
下請けはあくまでも受注金額がもらえるから働く。職人魂は否定しないがそれをキムタク一人が操っているといった彼に阿ねた脚本は益々彼を間違った方向の俳優に導いてしまう。
しかしこのドラマでは組織のサラリーマンであるからキザにもなれず、本当に追い詰められて真剣に自分や他人の事を考える役なのにそれもできず、社会悪に立ち向かう、のではなく自分のためだけに動くちっちゃな人間の役で、まぁ下手なセリフまわしと表情のパターンの種類が無い、いつもの演技が観ていて辛い。
多分この先竹内涼真の刑事が彼を窮地から救う役とおもわれるが、ボロボロ感がなく自信たっぷりで、受刑者になり切れない、刑務所の中でも意気軒高のキムタクドラマはもう救いようはない。どん底に落ちたと自分ではと思っていないからの演技だとしてもだ、普通の環境ではない刑務所の中でも自分を出そうとする。
この人「役者」である限り、落ち込んだり、自分を見つめ反省したり、人生の悲哀を演じることはできないのだろう。受け身の芝居ができない、そういうことなのかもしれない。常に主人公をしてきたからそうなったのだろう。
彼がいい演技をしたのはほとんどセリフの無かった『教場』(但し第一部のみ)。警察学校の強面教官役が意外とよく似合っていた。
セリフの多い役はだめだし、今回でも顔のアップもふてぶてしさと拙さが両方見え、表情にも仕草にもセリフの言い方も、変化のないいつものキムタクだ。
テレ朝、開局記念ドラマがこれでいいのか。副題の「君に掛ける橋」のタイトルやBelive(信じる)というのもアナクロな友情物語の意なのか、それとも自分を信じるということなのか。興味のある方はどうぞご覧ください。