私怨
「私怨」なのか、と思えるほどイスラエルのネタニアフ首相のガザ地区へのしつこいほどの攻撃執念。
先日NHKのドキュメンタリ―で改めて観たイスラエル独立までの経緯。以前ここに書いた、第一次世界大戦を有利に進めようとイギリス政府は戦っていた相手、セルジュールトルコとの戦争に勝つため狡猾な外交をしていた。
問題の土地パレスチナを含むアラビア半島に住んでいたアラブ人諸部族と、シオニズムを掲げ、わずかながら入植し、自国の国家樹立を望んでいたユダヤ人双方と密約を交わし、それぞれ独立を提唱。彼らに国家樹立を約束する。その結果が今のパレスチナでの戦闘に繋がる。
戦後イギリスは当然のことながら、できもしない水と油のようなイスラエルとアラブ人への条約を履行することはできなかった。
戦争中、ヨーロッパにいるユダヤ系富豪のイギリスへの献金、そして現地のアラブ人もトルコと闘い、しかし終戦するとイギリスは独立国家樹立を石油の産出国の多いアラブ諸国は承認した。
ただしイギリスは密約もあって、イギリスが統治していたパレスチナへのユダヤ人の入植を黙認しつづける。
そうしてイスラエルは国家樹立を宣言、のち国際連盟にも国として加入をみとめられる。歴史的に欧州各国でうとまれた欧州諸国に住んでいた彼らは、聖書にある彼らユダヤ人誕生の地へと向かい、たちまち集落から国単位になるまでの人口を持つ。ここから現在まで続くアラブ人との闘争の歴史、第二幕が始まる。
当然アラブ人たちはイスラエル建国は許さず、軋轢は生ずる。数に勝るアラブ人たちが戦争を仕掛けるが、イスラエル人はなんとか踏ん張り、かろうじて勝利を続けた。
第二次、第三次と中東戦争が行われたが、欧米にいるユダヤ人からの支持を受け、イスラエルは次第に力をつけ、占領地を拡大していった。ただ、これは国際的に見れば「違法」であるのだが。
そんななかアラブ人は全面戦争を止め、ドイツ・ミュウヘンオリンピックのユダヤ人選手村を襲い、テルアビブ飛行場で民間航空機に人質を閉じ込めるなどのテロ行為で対抗。対してイスラエルは隠密行動をとり特殊部隊を派遣、みごと人質を救出した。70年代はそうしたテロの時代でもあった。
その作戦を実行したイスラエルの特殊部隊の中に、たった一人の戦死者がいた。その兵士は現在の首相であるネタニアフの尊敬する兄ヨナタン。ネタニアフは彼が勇敢に自国の人達を開放したことを誇りにおもっていると同時に、アラブ人に対する怒り、憎しみはいっそうつのらせる。
でこのドキュメンタリーを視たら、イスラエルとアラブとの長い長い戦いは互いに不信を呼び、互いを壊滅させなければ終わらない、というところまで来ているのを感じる。
これが今回のロシア侵攻とはおおきくことなる点だ。プーチン一人の考え、野望のためにおこした戦争が「ウクライナ侵攻」であるが、ロシア国民は彼の言葉を全て信じているわけではなく、ウクライナ人を真の敵だ、とは少数の人はそうおもっていはいない、とわたしは考えている。現状さえ安全ならばそれでよい、が大多数の考え方だろう。
しかし民族同士が長い間争うと、収拾はつかず、プロバガンダにより真の敵とおもうようにされてしまう、これが民族紛争。遡れば紀元前までの話しになってしまう。
アラブ系住民と比べると、少数ながら最先端の武器をもつイスラエル。対して狭い土地に攻撃を受けその日、その日を生きている人達がいるガザ地区。元は入植当時のイスラエルがこのガザ地区を整備し、今この場所には大勢のアラブ人が閉じ込められている、実に皮肉である。
その中にいる少数のテロ集団と、多数であるイスラエル軍との闘い。そしてイスラエル、アラブ人双方が互いに憎しみあい、そのうえイスラエルの現指導者が個人的な恨みがある戦闘的なネタニアフであることにより、この諍いの終わる日はとおい。
ネタニアフにはガザ地区を殲滅させるまで、戦いを止めない決意を感じる。そうならないでほしいが。
陸の上で国を分ける国境線での争いは互いに顔が見えるだけに、冷静になれず敵視の感情こそ闘いを継続させる力になってしまう、そういう例は多い。人間にある他者を否定する感情、それはこのパレスチナの地だけでに限らず、ではあるのだが。