不適切にもほどがある | きつねの部屋ブログ版

不適切にもほどがある

 わたしが久しぶりに観るクドカン脚本のテレビドラマ。昭和と令和が行き来する不思議なタイムスリップ物。

 

 時代は平成に入る前の昭和40年代。高校教師の小川市郎(安倍サダヲ)は野球部の顧問で体罰として生徒たちをの頭を叩いたり、野球部員が疲れても水を飲ませなかったり地獄の小川として生徒たちに怖れられている。がそれも学校公認。妻は亡くなりその一人娘は高校生でスケバンに憧れ聖子ちゃんカットに足まで届くロングスカートの制服。チャンスがあれば処女を捨てようとしている。

 

 そんな小川が帰宅しようといつものバス停にやって来たバスに乗って帰宅しようとするとバスはまだ空。バスの後部座席でいつもの喫煙をはじめる。女子高校生が乗ってくると両耳に何かを付け、手に何か平たい物を持っている。その子は超ミニスカードで小川から「痴漢に狙われるぞ」と注意を受けるが、むしろその子は小川の喫煙姿を嫌悪する。

 

 そして次々に乗車する人たちは後部座席にいる市郎を見てみんな女子高校生と同じく厭な顔をした。一人の乗客が市郎の喫煙を咎め、「受動喫煙だ」と騒ぎだすが、市郎は何を言っているのかわからない。

 

 そして一郎はバスを降り常連であるスナックへたどり着くとどうも様子がいつもと違い、そこには老人とベビーカーに赤ちゃんを載せた女(仲里依紗)がいるだけ。

 

 その女と話しても話が合わない。でトイレにいくとそこの壁にかかっていたのがキョンキョン(小泉今日子)の40周年記念ポスター。

 

 不思議に思いポスターをめくると壁に穴が開いており潜り後ろを向くとキョンキョンが18歳。そこは同じ店のトイレだった。つまり市郎はタイムスリップし元の昭和にもどっていた。そうあのバスはタイムマシンであったのだ。

 

 そんなこんなで市郎は現在と昭和を行き来することになる。

 

 先日もここに書いた『隠し砦の三悪人』のテレビ上映の時に「現在では使ってはいけない言葉や言動がでてくるが作品を尊重してそのまま流す」といった意味のテロップがこの作品にも流れる。

 

 でなんでこのようなドラマをクドカンがつくったのかというと、現在の日本、いや世界はコンプライアンスに囲まれ”清く正しい世界”になろうとしていて、なんでもかんでもコンプラ違反だから、が正義となっている窮屈な世の中。

 

 そんな世の中を揶揄し、本当にそれが人間が”正しく”生きることなのか、という問いかけをしているように、わたしはそう受け取った作品だ。

 

 昭和の価値観と現代令和の価値観との相違、どちらが正しいのか、どちらも正しいのかを笑いで包むクドカンらしいテーマのブラックジョークのような作品である。

 

 とにかくジョークや皮肉満載。突然ミュージカルのように歌が歌われたり、ひっちゃかめっちゃか。なれど今の世の中が本当に人間らしい世の中なのかを問うている。