ロケとスタジオ撮影 | きつねの部屋ブログ版

ロケとスタジオ撮影

 マイナーなBS局で放送しているのは、中国で制作された時代劇が多い。作品によってお金の掛け方が違うとはっきりわかるものがある。

 

 だいたいが古代中国(朝鮮)の王宮もの。つまり皇帝権に関わる陰謀が行われるといったものが多くそこで正義のヒーロー、ヒロインが活躍する。陰湿といえば陰湿な物語であるが、主には皇室内は権謀術数、静かな闘いが行われ、それだけだと視聴者に飽きられてしまうために、大げさなアクションを挿入する。

 

 が兵の人数が足りなかったり、いかにもCGを利用したものある。だが第一話はアクション三昧で視聴者を引き付ける、竜頭蛇尾に終わることも多いいが。とんかくアクションの費用の半分以上を初回についやし、視聴者を引き付ける作戦。

 

 ということはアクションシーンはあるものの大軍団での激突シーンは漫画でごまかす、というドラマもありで、制作費の多寡が如実に現れる。CGといってもそれなりにお金がかかるからしかたないのだが。

 

 権力奪取を図る側は、皇帝には面従腹背、皇帝は腹心たちを排除に動き、外では謎の集団でもって皇帝側の闘士たちに襲い掛かり、もしくは皇帝に反乱をおこしたと罪をきせてかれらを葬ろうとする。

 

 そこは「上陽賦」、大軍同士の闘いのシーンは圧巻であった。さぞかし製作費が潤沢であったろう。王宮での女性のコスチュームも豪華だった。

 

 おそらく現中国でのこうした皇帝物は、争って制作、放送されているのでろう。するとお金の掛け方が違う、といったことが目に入る。典型的なのはロケだ。

 

 スタジオ収録ばかりだとドラマは平板に見えてしまうもの。広大な中国をイメージするわれわれ日本人には、もしくは自らの歴史をを誇りとする中国人にとっても物足りなく映る。

 

 中国は古代から万里の長城より北に遊牧民族を抱え、農耕民族である中国での農作物を搾取しようと何度も山越えをし、王朝を襲い、自らも皇帝を名のる。結局は上に立つ者は動かずとも民からの上納システムのほうが放牧より楽、と思ったのであろう。

 

 この遊牧民の支配する地は大草原の中にゲル(テント)を張って羊を追って定住することはない。この大草原を中国ドラマで視たのは「上陽賦」のみ。他の遊牧民ものの場所はアップではそれらしくゲルをはっているが、鳥瞰的な構図では明らかにCG。それも詳しいものではなく、単なる説明として画面に登場するだけ。

 

 室内ロケで皇帝の宮廷内も文武百官が居並び皇帝の裁可を仰ぐ朝議のシーンが出てくる。番組によっては大臣たちの数が極端に少ないものが多く、映画の「三国志」のような大勢の官僚は出演していない。

 

 「上陽賦」ではそれなりに行われた朝議シーン。高い玉座に座る皇帝。下座で立ち、皇帝の発する玉音を唱和する文武百官の数の多さ、それは制作費の多さでもある。スタジオで収録といっても天井の高い場所を使い撮影しているとそれらしく厳かさはでるものだ。

 

 それが狭い場所だと説明はできても帝王と部下との距離が近づきすぎて皇帝の偉さは伝わってこず、物語自体も小粒になってしまう。人数4、5人もいればいい方だ。

 

 話しは「朝ドラ」に移る。

 

 ロケ、スタジオといえば今回放送の「ブギウギ」。ロケは四国編と、歌劇団のストでお寺に籠ったときだけだったような。あとは大阪であろが東京であろうがスタジオ録画。

 

 屋外ロケで東京らしい景色が出てきてもあれは伊勢スペイン村が東京に変身したものではある。大坂制作のドラマで「東京」らしさの定番でのロケ地。この場所は「あさがきた」、「まんぷく」でも東京としてでてきている。東京に住むわたしにとっては違和感ありあり。スズ子が憧れた「日劇」が街並みの向こう建ち、彼女らが見上げるカットはCG合成。

 

 いいたかったのは、制作費が潤沢であればロケはそれなりの地でできるということ。いや、そうでもないか、東京制作でも大坂制作でも毎日毎日、スタジオで演技、サポートする人たちにとり、ロケにでることは難しいことでもある。

 

 スタジオ収録はそれこそ毎日毎日の撮影が主であり、朝ドラの宿命とはいえしかたないが、たまには外での芝居も取り入れて欲しい。俳優さんのアップだけでなく、物語に広がりを感じさせるためにはロケも必要。

 

 短時間に数十年分を撮影するわけだから無理であることは承知、でもおでん屋さんと、人通りの多い街角とは装置をかえただけで同じ場所、とわかるような演出はやめて。