タナケン登場 | きつねの部屋ブログ版

タナケン登場

 テーマがかわる「ブギウギ」の月曜日。本日から登場の日本の喜劇王といわれるタナケンことエノケン、榎本健一が登場した。おそらく知名度でいえば、スズ子のモデルとなった当時歌手であった笠置シズ子よりもあったであろう。

 

 エノケンは戦前まで娯楽の殿堂といわれた浅草六区出身で、戦後にかけ舞台、映画で活躍していたコメディアンである。いや喜劇役者といったほうが適切だろう。自らも劇団を持ち、大いに庶民にウケたそんな人で、わたしが知ったのは戦後の物心ついた時。

 

 たしか彼は舞台が断然一番、トーキー時代からは映画が二番、嫌っていたのはテレビ、だったか、子供ゆえその辺りはよく覚えていない。が彼が晩年にテレビに出演していたのを何度か観た記憶がある。

 

 テレビはその頃まだスタジオでの生放送。エノケンのスピードのある動きに追いつけるわけもなく、で彼がテレビを嫌っていたのは、彼の得意のアクションなどが狭くて動きが制限されるスタジオ生放送であったからと、思われる。これはあくまでもわたしの推測です。

 

 黎明期のハリウッド無声映画時代の喜劇俳優といえばチャップリン、と答える人が多い。しかしもう一人忘れてはいけないのがバスター・キートン。トーキー(音声入り映画)になってもいっさいしゃべらず笑わず、素顔で彼がとんでもない命がけのアクションをする。

 

 例えば高層ビルの壁に取り付けられた時計の針にぶら下がる。かなりのスピードを出すクルマを追いかけ、乗ったり、降りたり。一軒家を背にし、キートンがカメラに向かい歩いていると、その家のファサード(正面)が彼の方に倒れてくる。が彼は玄関が開いている隙間に嵌まると、歩きを一瞬も止めることなく表情もくずさず映画を見ている観客の方へと歩いてくる。これがカメラを固定させてのワンカット、凄い。

 

 CG技術のない当時、本番でこれだけのことをやってのけることができる日本人はエノケン一人ではないか。喜劇はセンスもだがアイディアと体力、そして計算も必要であるということをいいたかった。あと喜劇の極意は客に笑ってもらうために、自らは「笑わない」を徹底できるかである。

 

 その動きをエノケンはマスターし彼の舞台も映画も、他の人には真似できない笑わせながらのアクションが見せ場であった。

 

 まだテレビなどが無い時代から浅草で鍛えたチョー人気喜劇役者。が、今日の「ブギウギ」にも出て来たとおり素顔は不愛想だし、芸を突き詰める座長といわれる人に多い気難しい性格であったらしい。

 

 演じた生瀬勝久は長身だが、エノケンは小柄な体躯。しかしながらその舞台はスピーディかつ、滑稽。当然喜劇役者に必要な間の取り方もうまく大きく見えたという。戦前はもちろん、戦後も観客に愛され続けた。西遊記でいえば頭はそこそこ、しかし強い孫悟空が適役、実際にも演じたと思うがどうだろう。

 

 が西遊記が人気があるのは、真面目一徹のお釈迦様や三蔵法師らが登場するからで、でないと孫悟空はただの暴れん坊のサブキャラでおわってしまう。おそらくエノケンの心の中にもお釈迦様や三蔵法師がいて、それが徳があっても不愛想に見える人を観察する態度であったのかとも、わたしは考えている。

 

 観客を笑わせる「喜劇王」の称号を受けたのことは覚えている。そうだ、劇場で彼を見ることは彼が亡くなるまでなかったが、彼の名を知ったのは東宝映画の「雲の上団五郎一座」である。

 

 60年代だったがおそらくそのころが喜劇役者エノケンの最後の大花火がう打ち上げられ、戦後に生きた人たちの心に希望という満開の花が咲く。エノケンの活躍も、自身の失態がもとで片足を切断したこともあり舞台第一主義の彼としては無念であったろう。が義足をつけて舞台やテレビなどの出演を続けていた。

 

 死後ではあるが、喜劇役者として勲章をうけたのは彼が初めてではないか。それだけ榎本健一は国民的で稀有の喜劇役者であったということである。