ツッコミとボケ | きつねの部屋ブログ版

ツッコミとボケ

 先日久しぶりに正月恒例のNHKの演芸生放送を観た、ということは既に書いた。主に寄席でおこなう漫才と落語がメインであった。

 

 スタジオ、そして寄席や大阪の笑劇場では落語も演じられたが、圧倒的に漫才パートが多く大笑いをさせてもらったのは漫才。

 

 1980年代以前、東京では戦後も演芸の華は落語であった。1980年代以降吉本興業が東京に進出、次第次第にテレビを漫才が席巻、演芸の主流となってきた。

 

 そして漫才芸人はタレントとも呼ばれるようになり、漫才芸にかぎらずテレビでもエンタメ全般、またドラマにも進出するようになった。

 

 ではその漫才の元はというと、現在放送中の朝ドラ「ブギウギ」に登場している主人公スズ子(笠置シズ子)の、彼氏としてでてくる青年の母親がおおきな役割をはたした。

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 関西の演芸を仕切る吉本興業の前身である「天満花月」が考えた、「しゃべくり漫才」がその始まり。これを考えたのが当時のオーナーで創業者夫人のセイ。

 

 この「ブギウギ」の頃はセイ(小雪演ずるトミ)が一人で関西の松竹と東京の東宝と競い合いをして演芸界を仕切り、一人息子である愛助とスズ子こと笠置シズ子との仲を心よく思っていなかったのは事実らしい。ちなみにドラマにでてくる梅丸は「松竹」、日宝は「東宝」のことだ。

 それはともかく関西から発したしゃべくり漫才、戦前当時は関西圏一帯の演芸の王様。対して東京では落語こそが演芸の主役で、真打になって寄席でトリをとるのが落語家の憧れ。

 

 そうした中、東京では漫才はイロ物といわれ落語の間、間に挟まれるいわばセカンド演芸であった。しかし東京でも横山エンタツ、花菱アチャコの爆発的人気が起こり、ラジオという新しいメディアによりしゃべくり漫才が広く知られるようになる。

 

 その魅力は姿が見えずともしゃべくり、という言葉だけで聴き手が動きを想像できる点にある。落語もたしかに仕草があっての落語。とはいえ座って行う上半身がメインで、それを寄席で視聴できるからこそ想像力が涌く生での鑑賞がマスト。

 

 テレビですとイマイチなんですよねぇ。

 

 漫才は江戸時代まで流行った正月に村内、町内を廻る日の丸の扇をもつ太夫と、鼓を叩く歳三という二人で角付けをするものが起源と云われている。メデタイ言葉をならべたり、ちょっぴり世の中批判をしたりして庶民の娯楽であった。

 

 漫才はご承知の通りボケとツッコミでなりたっている。まずツッコミがコレコレとまともな話しをし始めるとボケが茶々を入れ、ツッコミがボケの起こす勘違い発言の訂正や暴走アクションを止めに入る。これの繰り返しがパターンだ。

 

 この真面目なツッコミが本当にマジメであるとうまくはいかないのが漫才。そこにボケをリードするツッコミの役割がある。ハチャメチャが許され笑いをとり、人気を得るツッコミに対し、いかに冷静に客の反応をみて、的確にタイミングよくツッコムか、それがツッコミの腕の見せ所。

 

 コンビのイキがあうかどうかは好き嫌いとはまた別の話しらしい。とにかく客の笑いをとり注目を集めるボケより、影の薄いツッコミが話しをリードしなければならない。おぎやはぎのように本当に仲のいいコンビもいるようだが、舞台に立つとき以外は別行動をとる、というコンビもいる。

 

 夫婦でもそうだろうが長年まったく同じ人間といる時間が多ければ、それはそうなることは必定ともいえる。

 

 ただプロはそれであっても客の前で芸をおこなわなければならない。とここまで書いておまえは漫才が好きか、と問われると好き、なのかな。正直テレビのバラエティ番組は遠い昔に卒業してしまったから何とも言えない。

 

 今の好みはナイツぐらいかな。それもEテレの0655や滝沢カレンの「ベーシック英語」を観て以来ですが。あっ、それ漫才が、というよりタレントとして好きです。

 

 話しは元にもどるがNHKの正月演芸番組の生放送。ことしは元日から災害、大事故が発生し、いちどは飛んだ演芸番組を観ているうちに、漫才とはと、そんなことを考えました。