やるせない事件 | きつねの部屋ブログ版

やるせない事件

  一昨日か、一つの判決が降りた。被告は82歳、被害者は79歳、二人は夫婦であった。被告は妻を殺したとして逮捕、検察が起訴していた。

 

 この事件は一般に云われる「老老介護」の末の犯行といわれる、夫が妻を介護しその疲れから妻を殺した、と受け止められているのだが夫曰く、妻の苦しみと自分の苦しみをこれ以上長くしたくなかったので、という理由があっただけでなく、夫自らが犯した殺人だ、と認定された。

 

 夫はサラーマン、長男もいる夫婦だった。妻が42歳の時に脳梗塞になり、命はとりとめたものの次第に体が動かなくなり車いす生活となった。

 

 その時夫は42歳、妻39歳。夫は直ちに会社を辞め、今までしたことのないコンビニ経営をし、妻を支えることにした。しかし最初は順調に経営できていたコンビニも夫のワンオペ、また妻の介護などにより次第に店より妻の介護への比重が多くなって結局店は流行らず休業してしまう。

 

 それでも夫は長男や第三者への援助を拒み、一人でその後認知症を発症した妻の介護を続けた。その行き詰まりが40年目にしての妻への殺人となる。

 

 その行為も悲惨なもの。妻をクルマに載せ港まで連れてきて、防波堤から車いすごと海へと突き落とした。

 

 そのとき妻は「いやー」といったという。

 

 なにか異常を感じた長男が父親を問い詰めると、母を海に突き落としたといい、自首する形で警察に逮捕され、検察に送られた。

 

 検察の求刑は懲役5年、裁判所の判決は弁護側が望んだ執行猶予がつかない懲役3年の実刑といいわたされた。

 

 この裁判は裁判員裁判で、裁判員の中で協議は割れたという。献身的に妻を介護していたが、結局自分ではこれ以上どうすることもできないと感じた被告が妻を殺した。

 

 老老介護の疲れもあったろうが、妻の気持ちも斟酌せず一方的に海へ突き落した点、そして長男始め第三者への助けを求めず一人で介護を続けたことへの独断。これらを考慮しての執行猶予がつかない判決だった。

 

 実に切ない結果だが、わたしも致し方ないと思う。わたしも長年二人で一緒に暮らした母親が認知症(になったとき、これは病気だと知りながら彼女の行動に腹がたったことは何度もある。

 

 幸いにもまだ介護保険制度発進前もあって、空きのあった特別養護老人ホームに入所できたことによりわたしの生活は保たれた。しかしあの時にどこにも受け入れ先がなければわたしも殺人を犯していたかもしれない。

 

 介護は身内がしようが、第三者が関わろうが被介護者に対する気持ちがマイナスに働くと事件になってしまう。相手は体が大きくても子供だ、とおもえればいいのだが、なかなかそうは思えない。子供のように言い聞かせることはできないのだ。

 

 特に身内だとあんなに元気だった親が、夫が妻がこうなる。やるせなくなる気持ちがよくわかるし、施設で第三者が介護する場合、ストレスを感じ、虐待事件が起ことが多い。

 

 第三者でなく、長い事献身的に介護してきた妻を海へと突き落とした夫の心情、分かる気もする。彼の中には妻と一緒に死のうという決意があったといわれている。

 

 猿之助事件も直接介護問題ではないが、猿之助が親子心中を選ぶ気持ちの中に、残される老齢の両親への不憫を感じた、そのような気持ちもあったのかなと推察している。それが自分勝手な思いであっても全き非だ、ともわたしはいえない。

 

 人間、合理的には生きられない生き物だということが、改めて分かるそんな事件であった。