150人
150人、それはわたしたち人間の種である「ホモサピエンス」が最大直接関係する人の数だという。
その数が40万年前に生きていていた「ネアンデルタール人」と異なるところで彼らは絶滅し、そして20万年前以後わたしたちがホモサピエンスが残った。
その集団の中身は様々な家族から構成し、ネアンデルタール人は家族単位、血縁単位を重視するのに対し、ホモサピエンスは同じ目的の人間たちが集まり、互いに知恵を出し合い道具をあたらしくつくり、利用し生き残ってきた。
と、NHKの大型企画『ヒューマン・エイジ人間の時代』で語られた。
この150人説は同じNHKの『ヒューマニエンス』でもテーマとなり、一つの集団で行動するには適当な数であることがいわれ、現代においても例えば年賀状などの最大枚数がその程度になることで証明されている。
そんな単位でムラを作り、今も生きているいわゆる原始社会は地球上に今だ存在する。
と考えてみると、その程度が限度でそれ以上の人間とはあまりかかわりあっていないなと思うこともある。
もちろん学校や会社でもそれ以上の人間もいるが、実際に生涯を通し親しくしていた人を数えるとそんなものだとおもう。
違う種族がコミニケーションをとるためには共通の言語が必要となる。いままでは狩りや採取で暮らしてきたが、毎年確実に食べ物を得るために農業を起こしす。
が収穫は天候に左右されるために、他所へ行き富を奪うことがあって、闘いとなり勝った方が敗けたほうを従属させ、ムラが都市となり、国となっていく。
それだけ人が集まれば何がしかの効率的な事務を行わなくてはならず、文字が発明された。また集団の存続と天候への恐れが神を生み出し、統合の象徴となる。
大集団となればリーダーが必要となって、神と一体とした存在としてあがめられる。また彼は他国を襲い、それが帝国となって同じ文明が広がっていった。
その結果がわたしたち、ということになる。政体はいろいろだが中身はかわっていない。それが今回のロシアによるウクライナ侵略に繋がり、20万年もの時からまったく進歩していないとは情けない。
結局は自分の集団の利を優先にするのが人間というものだ。
結局文明が起こり滅ぶのは自然災害もだが、互いに争った結果ではないかとおもう。
これから起こる資源の枯渇、地球温暖化で、人間は地球に住めなくなることは現実問題として考えなければならない。70億超の人間をこれから食わせるためには相当な無理が必要となる。
もう後戻りはできない、文明が生まれて2万年ほど。地球が生まれて45憶年。そろそろわたしたちの命運はつきる、かもである。