武士とその妻 | きつねの部屋ブログ版

武士とその妻

 池波正太郎の短編「へそ五郎騒動」を原作とした作品をドラマ化した『武士とその妻』。主演は時代劇を始めて演じる工藤阿須賀。

 

 舞台は江戸中期後半の信州松代藩。あの真田家が創出した藩で、今は5代目が当主となっている。

 

 主人公平野小五郎は20石をいただく家の次男。この時代家を継ぐのは長男で次男以下は厄介者の意味で「へそもの」と呼ばれ、兄に世話になるしかない役立たずとされていた。

 

 そんな小五郎が27歳になった時、縁談が舞い込んだ。それは自分の家が檀家になっている寺の住職(火野正平)の世話だった。相手はお納戸役で30石を戴く山崎家、当主は山崎源右衛門(河本雅裕)。娘一人がいて家を継ぐ男子がいないので跡継ぎを探していたのだ。

 

 互いの家の家格も合い、小五郎は山崎家にその娘藩一の美人の誉れ高い恵津(志田未来)と婚礼をあげ婿養子として山崎家へはいる。

 

 源右衛門は隠居し、小五郎がかわりに城に出所、妻との仲はむつまじく、小五郎も真面目にお役を務める。

 

 そんな妻大事を同僚たちはからかい、重役であった関口喜兵衛(本田博太郎)も同僚たちの面前で妻や家のことを辱めた。

 

 そんなある日元剣道の道場で一緒に稽古していた足軽の友人が筆頭家老であった原正盛(浪岡一喜)を町中で討とうとし、切り殺されるのを目の前で視た。

 

 殿の覚え目出度い原は、足軽たちの俸禄を年々下げ、それも藩主の遊興や華美のために使い、足軽たちの怨みを買っていたのだった。

 

 そんな藩政を牛耳る原、そして家や妻を侮辱した関口を武士として許せぬ思いを抱いた小五郎、彼らを討つ決意を固め、義父にこの話しをし、自分が家を出たら山崎家に迷惑が掛からぬよう離縁状を藩にとどけ、恵津のお腹にいる子をこの家の跡継ぎとしてほしいとして出奔する。

 

 そして機会を狙い喜兵衛を討ち取り、城下を去る。

 

 あとは家老の原を討つため江戸と松代を何度も往復。途中武蔵の国の桶川宿の宿女将お杵との縁ができ、その後原を二度襲撃したが原の取り巻きたちに反撃を受け、負傷までしてしまう。

 

 その間父喜兵衛の仇討ちを藩から命ぜられた原との姻戚関係のある関口の嫡男市太郎が江戸で小五郎を見つけ、小五郎「いま一年待ってくれ、本懐が遂げられずとも市太郎と勝負をする」と約束した。

 

 市太郎自身は自分の親が小五郎に討たれた時にも小五郎に同情していて、藩の命があっても本当は小五郎を討ちたくはなかった。互いに武士の意地、一分としての宿命を負っていた。

 

 が小五郎が負傷し、養生している間に一年が過ぎ、約束をまもれなかった小五郎。武士として情けなさに泣く。

 

 年が過ぎ、その間に松代藩では藩主の死で後嗣が藩を継承し、藩政改革を断行、原はお役御免となり失脚した。

 

 原を討つ理由もなくなり、市太郎に討たれる覚悟を決めた小五郎。出奔していて5年の月日がたっていて、その間に恵津には男の子が生まれ、正式に山崎家の跡継ぎと決まっていた。

 

 あとは自分の身の処し方だけしかない。そう決心した小五郎、藩にもどり和尚に妻と子と逢えないものかと相談。和尚が場を設けてくれ妻と子と逢うことができ、もう思い残すことは無いと市太郎を呼び出し切腹の介錯を頼む。

 

 市太郎は藩主も変わったことだし父のことへの恨みもないのでといったが、小五郎は武士の面目がたたない、そういって腹を切った。

 

 ☆☆

 

 いや工藤阿須賀の時代劇初出演とは思えないりりしい武士振りもよく、殺陣なども見事にこなしていた。妻役の志田未来、彼女のデビューした『教室の女王様』以来観続けてきたが、大人になったなぁとこれも感激。

 

 平野家と山崎家との橋渡し、小五郎を幼いころから良く知り、平野家と山崎家との縁組をとりもち、市太郎と小五郎との因縁もよく知る和尚役の火野正平の役が光った。

 

 小五郎と恵津、二人の婚礼のシーンは美しくなかなかここちよく観ることができた。ただ難をいえば、小五郎が出奔してから浪々の身になっているのに月代や髭などが延びていず、服もいつも出奔当事のスッキリとした様相で、稼ぐ手段のない浪人にしてはそこはリアルに欠けていたかと。

 

 ただ傷を負い桶川宿で厄介になっている間だけはやつれた格好をしていた。

 

 といって話しは役者の演技がよくBS-TBSという枠での放送ではもったいないくらいの内容であった。いつも民放BSだと地上波の再放送とか古い映画などを放送していて独自番組は少ない。そこは地上波と違い、1時間52分といった長時間枠と意欲的な新作発表の場がとれるBSのいいところだ。