また昭和が消えた | きつねの部屋ブログ版

また昭和が消えた

 小松政夫さんが亡くなった。78歳ですから現代では少し早いかな、という気はしていますが、でも大往生といっておきましょう。

 

 この10年近くは彼の名を直接テレビで観たり、聴いたりすることはなくなりましたが、御存命であることは知っていました。

 

 今の若手俳優で売れている志尊淳がそれほどテレビ各局に使われていないころ、NHKの『植木等とのぼせもん』という植木等の伝説を物語にしたドラマで主役をやっていた。「のぼせもん」とは博多弁で「我をわすれるくらい夢中になる人」。

 

 丁度植木がバンドマンからコメディ俳優に転向しはじめたころ、運転手兼付き人を募集した際に彼のお眼鏡にかなったのが博多出身の小松政夫(志尊)で、師に憧れて芸能界を昇りつめていくというお話。

 

 九州出の純朴な青年がなんとか名前を世の中に覚えてもらえるよう、奮闘していく丁度高度成長期の話し。そして形態模写という芸がテレビで受けたおそらく最初の人なのではないかと思います。

 

 当時テレビで紹介された映画解説をおこなっていた淀川長治氏のしゃべり方、そしてあの眼鏡を工夫して動かし「まぁたいへんですね」としゃべる様子をバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』観ていたわたしは、本物の淀川さんも好きだったが、小松氏のヨドガワさんも大好きで、なんどもなんどもテレビで観たことをいまだに覚えている。

 

 そしてその後の小松氏を決定的したのは、ベンジャミンフランクこと伊東四朗と組んだ「伝線音頭」でのギャク。これはもう大うけで番組の中のひとつのコーナーだったが、これが出てくるのをお茶の間のみんながまだかまだかと待ち受けていて、大笑いをするといった世紀の大ギャクであった。

 

 小松氏の師匠ははじめは植木等だったが、第二の師匠といえる人は伊東四朗であったことは間違いはない。

 

 いまでこそドラマで渋い演技をする伊東四朗であるが、亡くなった植木と同じにすでに生きながら伝説のコメディアンとなっている。その二人と絡んだ小松氏、いい時代といい人たちにかわいがられ、世を去った。ご冥福をお祈りいたします。

 

 おもしろうて、やがて悲しき鵜飼かな 芭蕉