テレビでの娯楽の意義 | きつねの部屋ブログ版

テレビでの娯楽の意義

 4月、テレビでも新番組が続々と始まった。しかしこの新型コロナウィルスの影響でスタートするはずの一部のドラマなどは放送が始められずにいる。

 

 また、1月から放送されているNHK大河ドラマ『麒麟がくる』も、現在収録を見合わせているので放送中止にはならずとも、いつ休止となるのかは分からない状態だといわれる。もうひとつの看板番組朝ドラも同様だそうだ。

 

 TBSの日曜9時から放送されている「日曜劇場」枠で7年ぶりに前回好評であった『半沢直樹』の続編を今日からの放送予定であったのだが延期となり、とりあえず『下町ロケット』の総集編を流すことが決定している。

 

 このようなことはドラマだけでなくバラエティ番組にも波及、スタジオ収録はいままでのようにタレントを大勢集め、密集した状態では不可能で、どのようにするか、制作者側に問われている。

 

 またロケ主体の番組であってもそうで、例えば『ブラタモリ』などこれからどうするのだろうとか考えてしまう。

 

 タモリとアシスタント女子アナとの間隔が離れたら、番組にはなるまい。スタッフも近接して撮影には臨めない、これもまたウィルス感染を助長するからだ。

 

 とりあえず、収録分は2、3作はあるだろうから当面はしのげるとして、今後はどうなるのだろう。

 

 顔をみせてナンボの俳優、タレントたちがまさかマスク姿ででてくるわけにもいくまい。

 

 多数の人たちが密接する広い空間もダメ、狭い空間ならなおさら、となると厳重に管理されたスタジオで出演者たちが互いの距離を取ることが要求され、それもまた画面におさまらず間抜けで番組にはならない。

 

 結局ドラマは過去の作品の再放送が多く流れるのではないか。またアニメの再放送もありえる。

 

 現役で仕事をしている人達は外に出られないことにより収入が乏しくなり、いやまったく得られない状態がこの先も続くとすればそれどころではない、であろうが家の中に閉じ込められてはそれだけで憂鬱になってしまう。

 

 こうして身近な娯楽がない生活を強いられるのはストレスが溜まり、特に笑いがないのはとてもキツイ。毎日深刻なニュースばかり見ていては鬱屈する。

 

 改めて他人の人生を描くドラマや馬鹿々々しいお笑いが、人の生活に必要なのだと得心する。