危機感をもとう | きつねの部屋ブログ版

危機感をもとう

 このウィルス騒動が始まった当初、わたしは現在のこのような自粛を促される状況があるのではないかとこの3月7日の「疫病」としてブログに書いた。

 

 いや自粛どころか、政府が乗り出し更なる強硬措置を国民に強いることになるかもしれないとした。現在の戒厳令といわれるものだ。

 

 今回のこの都知事の自粛要請に対しても、「やむおえない」と受け入れる人もいえば、「こんなことをしても意味はなく不安だ」という人もいた。

 

 この人のいう「不安」は疫病にたいする不安ではなく、仕事や生活をこの自粛要請によって邪魔される、との意味かとおもう。

 

 つまり自分にとっては、この自粛要請はいらない、むしろ迷惑と思っているらしい。が、事はもっと重大な局面になっていることを知らねばならないだろう。

 

 現在は都知事が都民に要請した個人の判断での自粛で終息する、という状況にはなくなってきている。

 

 国民がこぞってウィルスに立ち向かわなければ終息しない局面にまで近づいていると見る方が正しい。

 

 実際に欧米ではロックダウン(都市封鎖)措置や昼夜の外出禁止命令が発令され、それに反すると罰金を科されるところもある。

 

 このままウィルスの蔓延が止まらなければ、国が特別措置法によって「都市封鎖」という最終手段を発令するかどうかのところまで来ていると認識してほしい。

 

 中国のような一党独裁の国なら党(実際には習近平書記長)の一存でそれも簡単にできるが、民主主義国家ではそう簡単にはいかない。

 

 いくら政府であっても独断でこうした最終的な手段をとるわけにはいかず、法令を作成し、国民の代表者で構成する国会の採決を得る必要があり、既にそれは終わった。

 

 なので、何時発令するかは時間の問題と思っていい。そうなったら、週末がどうの、自分の社会活動に影響があるなどといっていることはできなくなる。

 

 が、それを発令すると日本国の経済には大打撃がおこり、その再生には相当な時間がかかり、日本の浮沈にかかわり、簡単には決しられない。

 

 しかし、とにかく今は異常事態だ、見えないが有事だと認識するしかない。

 

 この特別措置法の目的はウィルスの感染経路を断つことと認識し、それには動かないことが一番である、それしかない、と思っていただきたい。

 

 特別措置法が発令したとしても、願わくば都市機能を温存し、生活にそれほどの支障がおきないうちに収まってほしいものだ。